名前はジョン・フォード。西部劇を撮っています

蓮實重彦

ごく簡潔な一句が事態を急変させることがある。1950年10月22日のアメリカ映画監督協会の臨時総会で口にされた「名前はジョン・フォード。西部劇を撮っています」がそれだ。彼は有名な監督だから、いかにも人を喰った自己紹介である。だが、この簡潔な一語で、『駅馬車』の監督は、「赤狩り」派の急先鋒セシル・B・デミルの策謀を粉砕してしまう。

サイレント期以来の大監督で、ハリウッド一のヒットメイカーだったデミルは、いかにも「左翼知識人」然とした協会長ジョゼフ・L・マンキーウィッツを「危険人物」視し、その解任を画策していた。冷戦が激化し、議会の非米活動委員会がハリウッドを標的にしていた1940年代後半から50年代の初めにかけてのことだ。時期が時期だけに、臨時総会の出席率は過去最高で、誰もが自分の意見を表明した。議論は紛糾し、会議は深夜にも及ぶ。

不意に、それまで沈黙していたフォードが起立し、律儀な自己紹介の後、デミルを攻撃する。会場は水を打ったように静まりかえり、誰もが彼の言葉に耳を傾けた。あなたの態度は気に入らないというフォードの言葉でデミルは協会評議員の地位を追われ、マンキーウィッツは会長の地位にとどまる。野球帽にスニーカーといういでたちのフォードは、パイプをくゆらせながら、「さあ、家に帰って寝よう。明日は撮影があるのだから」と会場をあとにしたという。

そんな挿話を知ったのがいつのことだったか。臨時総会の開催に尽力したジョゼフ・ロージー自身の口から聞いたようにも思うし、ロバート・パリッシュの『わがハリウッド年代記』の原書で初めて読んだのかも知れない。だが、「名前はジョン・フォード」の一句は、たえず脳裏を鮮明に旋回しつづけている。これほど律儀な自己紹介をいつかはしてみたいと思いつつ、今なおまともな自己紹介の言葉を口にしえずにいる。

初出:『朝日新聞』2002年12月11日(新聞掲載版は本テキストをやや短縮したものである)

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