モスクワのシェークスピア的な悲劇に対して日本人は何が出来るのか

蓮實重彦

ナウム・クレイマンが危機に陥っている。ゴダールがその『映画史』の「3B」を捧げたあのナウム・クレイマンが危機に陥っているのです。モスクワの映画博物館の館長であり、エイゼンシュテインの専門家でもある彼は、ソ連時代に禁じられていたアブラム・ロームやボリス・バルネットのプリントの海外普及に大きく貢献した人物です。

クレイマンの映画博物館の二つの映写会場では毎日優れた映画が上映されており、いまのモスクワでは、まともな映画がみられる数少ない場所です。ロシアではまったく無名だった小津安二郎の特集を組んで成功させたのも、クレイマンでした。そのロビーには、ミハイル・ロンム監督の別荘にあったという木製の椅子とテーブルが無造作に置かれており、そこに漂っている土地の精霊に、思わず身の引き締まる思いがします。

その博物館の入っている建物の電気が、滞納を理由に切られてしまった。滞納とはいえ、電力会社への滞納ではない。勝手にその建物の所有者を自称する商業組織の「映画センター」が切ってしまったのです。映画博物館を追い出し、そのスペースを「有効に」活用したいというのがその意図らしく、所有権をめぐる抗争は10年にも及びます。もともとソ連映画のプロパガンダ組織の入っていた建物ですが、ソ連の崩壊とともに、所有権が曖昧になってしまったものらしい。

クレイマンの映画博物館は、国営ではないしても、文化省傘下の組織として、1992年以来、この建物の14パーセントをしめる空間を活動の場としている。その地道な活動が電力の供給をとめられてストップしてしまった。ここでの上映がストップしてしまったというニュースは、言葉にしがたい痛みとなって胸に迫ってきます。ロシアの文化省は、どうやら映画博物館の移転を考えているようですが、クレイマンの立場はきわめて微妙なものらしい。

クレイマンのお嬢さんはフランス語が達者で、外国に行くときには、よく彼女を同行します。ある会議の席で、ゴダールが二人をリア王とコーデリアに喩えていたことが思い出されます。不吉な予言だったのかも知れません。この21世紀のシェークスピア的な悲劇に対して、日本の映画関係者は、はたして何ができるのか。無条件に彼の味方でありたい私は、とりあえず、国外の支援者たちと連絡をとりあっているところです。

 

2002年12月15日

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