だからアメリカ映画は面白い――トッド・ヘインズ『エデンより彼方に』

蓮實重彦

とうとう第七騎兵隊まで派遣してしまった合衆国政府が中東地域で乱暴狼藉のかぎりをつくそうと、その国の映画を擁護する姿勢だけは断固として崩さぬつもりでいる。アメリカ映画はとうの昔に「国連決議」など無視して地球規模での一国支配を貫徹しているのだが、そのことさえ、映画のためにはよいことだと強弁する心の準備もできているつもりだ。にもかかわらず、誰が何といおうとアメリカ映画は面白いと断言するにふさわしい作品が、9.11以降あまり見あたらない。スコセッシやスピルバーグの新作も、こうした大言壮語を正当化しうるとはとてもいいがたい。

さいわいなことに、そんな当惑を爽快に晴らしてくれる作品がニューヨークから送りこまれる。より正確にはポートランド派と呼ぶべきトッド・ヘインズ監督の『エデンより彼方に』である。主演のジュリアン・ムーアばかりがやたらと評判がよいが、この作品を話題にしつつだからアメリカ映画は面白いと大っぴらに吹聴できるのは、ヘインズのあなどりがたい演出の力による。製作は、このところ話題独占といったかたちの女性プロデューサーのクリスチーヌ・ヴァション。ブラウン大学で映画記号論を専攻して以来の戦友であるヘインズとヴァションは、キラー・フィルムズという物騒な名前の独立プロを十年がかりで軌道に乗せ、満を持して発表したこの新作でついにハリウッドをひざまづかせた。

もっとも、東海岸的な精神風土の持主であるこの二人組にとって、そんなことはどうでもよろしい。題材をダグラス・サークからかりた50年代風のメロドラマを21世紀初頭にリメークするという企画のあざとさを、まれに見る真剣さで処理してみせた彼らの姿勢こそ、賞賛に値いするのだ。撮り方によっては爆笑もののコメディともなりかねない題材でありながら、構図を意識させないショットをなだらかにつなぎ、いざという瞬間には途方もないクレーン撮影や深いフェイドアウトで物語にアクセントをそえるという演出には、ポストモダン風の軽薄さなど影さえ落としていない。主題のあざとさは、演出の真摯さによって初めて人の心をうつ。ヘインズは、古典的ハリウッド映画の矛盾律がいまなお有効に機能しうることを、郷愁に足をすくわれることなく律儀に立証してみせたのである。

この映画が題名やエンドマークの書体までをもモデルとしている『天はすべてを許し給う』(55)は、50年代の地方都市を舞台にした未亡人の悲恋物語である。撮影時には同時代的な現象だった保守的な階級社会をシニカルに批判し、季節や樹木や動物の魅力をたくみにあしらったサークのメロドラマは、文句なしに素晴らしい。ただ、いささか艶めかしさに欠けるジェーン・ワイマンのヒロインにしっくりしないものを覚えていただけに、その役にジュリアン・ムーアを抜擢した監督には素直な喝采を送りたい。彼女がまとうドレスや髪型からインテリアの調度品、自動車にいたるまでの贅をつくした50年代調は、パロディーの一歩手前で踏みとどまる監督の自制心によって、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の無惨な失敗ぶりをあざ笑っているかのようだ。慎重なはずのヘインズが見せた数少ない落ち度は、寝室のダブルベッドと居間の脇の階段である。ここまで五〇年代風を気取るなら、ベッドはツインでなければならないし、階段のステップにはせめてあと十段ほどのゆるやかなカーヴが必要だろう。

旧作ではロック・ハドソンが演じた庭の剪定職人を黒人に、未亡人をホモセクシュアルの夫を持つ主婦に置き換えてみせたあざとさについていえば、真摯な演出によってそれぞれのおさまるべき場所を見いだしている。だが、ここで驚嘆すべきは、ジュリアン・ムーアが近所づきあいをしているご婦人たちの、いかにもそれらしい立ち居振る舞いのかしましさである。とりわけ、サークの作品ではアグネス・ムアーヘッドが演じた親友役のパトリシア・クラークソンの、本人以上にムアーヘッド然とした無意識の偽善者ぶりを、戯画に陥ることのない距離感とともに描いた演出には舌をまかざるをえない。

これほど多様な女優たちを苦もなく構図におさめてみせるのだから、トッド・ヘインズは、おそらくジョージ・キューカーのように、女性には真の興味を覚えることのない男性なのだろうが、それはまあどうでもよろしい。ここで重要なのは、『エデンより彼方に』が、戦争とも征服とも抗争とも無縁に自国の歴史を描いた数少ないアメリカ映画の一つだということだ。スピルバーグの新作は「時代劇」でしかなかったが、これはまぎれもない「歴史映画」なのである。ニコラス・レイやジョゼフ・ロージーを生んだ変容の一時期の歴史を、距離の意識をこめたメロドラマとして描いたトッド・ヘインズの大胆な繊細さには、深い驚きと嫉妬を禁じえない。

 

初出:『Invitation』2003年6月号(4号)

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