キャサリン・ヘップバーン追悼

蓮實重彦

誰かまわず「さん」づけで呼ばぬと気のすまぬらしいテレビや新聞・雑誌の官僚主義は何とも嘆かわしいかぎりですが、ついせんだって、グレゴリー・ペックさんにつづいて、キャサリン・ヘップバーンさんの九六歳での死を伝えた日本のマスメディアは、アメリカ本国におけるヘップバーンさんの追悼ぶりが、ペックさんのそれより遥かに大規模なものだったことに軽いショックを受けていたようです。だが、考えてみるまでもなく、そんなことは当たり前の話でしょう。たかだか戦後のどさくさにまぎれてスターになったペックさんや同姓のオードリーさんなどにくらべれば、キャサリンさんは戦前のブロードウェイからハリウッドに招かれた正真正銘の大スターで、『ローマの休日』などというハリウッド退潮期の作品でコンビを組んだお二人などとは、そもそもかっさらったオスカーの数が違うし、アメリカ映画への貢献度という点でも比較にならない。時事報道専科のABCまでが、彼女はたぐい稀なClassとTasteに恵まれていたと感慨深げにいっていたように、合衆国には「ヘップバーン神話」はあっても、ペック神話やオードリー神話なんてものは存在しない。ところが、日本では、ペックさんやオードリーさんのほうが有名らしく、無知からでたこの種のガキ人気にマスメディアまでが同調してしまうのは本当に嘆かわしい。

いまさら日米間のそうした知的=文化的なパースペクティヴの乱れを指摘しても始まりませんが、ある時期からネオコン一辺倒になってしまったイラク侵攻の報道を含めて、日本におけるアメリカ関係の情報はおしなべてその程度のものだと高を括っておいたほうがよろしい。わが国におけるアメリカの専門家を自称する人のほとんどは、自分が同時代の知識として知りえたものしか情報として持ってはいないからです。だから、ヘップバーンさんを追悼するにしても、『アフリカの女王』や『旅情』や『黄昏』ぐらいでお茶を濁してしまう。『スコットランドのメリー』の監督ジョン・フォードさんと彼女との一応は「プラトニック」なものといわれている大胆きわまりないロマンスや、必ずしもホークス的ヒロインとはいいかねるキャサリンさんを主演に迎え、ハワード・ホークスさんがグラントさんをフォードさんに見立て『赤ちゃん教育』を撮ったという周知の事実に誰も触れていないからといって、いまさら怒ったりはしますまい。しかし、彼女の追悼にジョージ・キューカーさんとスペンサー・トレイシーさんの名前を挙げずにおくことが、国際規格からみてジャーナリスト失格だといったことぐらいは知っておいたほうがよい。もっとも、まるまる1ページをさいてヘップバーンさんを追悼していたフランスのさる大新聞までが『招かざる客』の監督にスタンリー・ドーネンさんの名前を挙げているぐらいですから、映画ジャーナリズムはいまや世界的に混乱しているのかもしれません。

1907年に生まれた彼女とともに同時代を生きた人間などほとんど残っていない21世紀の初頭に、彼女の作品を一本も見たことのない人が日本にいても、それは当然でしょう。しかし、多少とも映画に興味を持っていながら彼女の存在を知らずにいることは、やはり知的=文化的なパースペクティヴの混乱を惹起しかねません。それこそブッシュ二世の思うつぼだとまではいいませんが、世界が正常に機能するためにも、われわれは、ラムズフェルドさんなどよりアメリカ映画を遥かによく知っていなければなりません。そこで、まだヘップバーンさんの作品を見たことのない方には、とりあえず『フィラデルフィア物語』を推薦することで、わたくしなりのつとめをはたしたいと思います。わたくし自身は、ヴィデオで『男装』と『アダム氏とマダム』を見て彼女を追悼しました。そして、同時代にキューカーさんのような優れた映画作家がいたことをつくづく幸福だと思いました。それと同時に、ただ一人の「愛」のパートナーと彼女が呼ぶスペンサー・トレイシーさんのような優れた俳優がいたことも、幸福なことだと思いました。その幸福を、選ばれた者だけの贅沢なノスタルジーとしないためにも、アメリカ映画を見つづけねばなりません。ちなみに、わたくしは今日、土曜日の午後、『ターミネーター3』をガラガラの小屋で見て寂しい思いをいたしました。全国一斉公開のため劇場数が多すぎるせいか、『マトリックス・リローデッド』を見たときも、客席はガラガラでした。高校時代にひとりでこっそりと見に行った『アダム氏とマダム』を上映中の劇場が週日なのに立錐の余地もない満員だったことを思うと、現在の日本におけるアメリカ映画の「大作」の興行形態は、確実に観客から幸福を奪っていると判断せざるをえません。それは、いまイラクで起こっていることとも決して無縁ではないはずです。ちなみに、ヘップバーンさんの姓の綴りは、日本で「ヘボン式ローマ字」といわれているものの生みの親のヘボンさんのそれとまったく同じものです。どうやら、われわれの曾祖父の世代の日本人のほうが、原音に近い発音の表記にこだわっていたようです。

参考:
http://members.aol.com/khwebring/

2003年7月

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