ウェス・アンダーソンは21世紀にふさわしい真のフィクションを初めて人類に提示する
――ウェス・アンダーソン『ライフ・アクアティック』

蓮實重彦

『ライフ・アクアティック』(2004)のウェス・アンダーソン監督にとって、この地球が地球儀さながらの球体である必要などさらさらなさそうに見える。キャメラを向ければところどころに島は点在しているし、陸地も拡がっているのだが、それが大西洋に浮かんでいるのか、ユーラシア大陸の一部なのかといったことは、はなから問題にならない。あたかも世界地図などこれまで一度も見たことなどなかったかのように、彼はほんの小さな海域を地球に見立て、見る者をいきなり海底へと誘う。

海洋学者でドキュメンタリー映画作家でもあるスティーヴ・ズィスー(ビル・マーレイ)にとって、温帯だの熱帯だのといった南北による風土の違いなどないに等しい。文明の対立などというフィクションをあざ笑うかのように、東西に位置するあまたの文化圏も小気味よく無視される。その妻(アンジェリカ・ヒューストン)の飼い猫が毒蛇に喰い殺されたりする土地がいったいどんな緯度経度に位置しているかなど、問うだけ野暮というものだ。夜の砂浜に打ち上げられた無数の発光クラゲを撮影中のスタッフの前にいきなり姿を見せる妊娠中のジェーン(ケイト・ブランシェット)が、ジャーナリストとしてどんな経路でその場にたどりついたのかも、あえて詮索せずにおこう。

ズィスーがスタッフとともに乗り込むベラフォンテ号は、赤道だの子午線だのは意に介さずに航行し、警戒すべきはどうやら非警戒水域というものだけらしい。ときおり画面に示されるもっともらしい地図や海図にしても、そこには見慣れぬ名前が記されているばかりで、コロンブスのアメリカ大陸発見以前のものであっても一向におかしくないほど、地球の現状からは遠い。登場人物のほとんどは英語を話すアメリカ人だが、彼らが合衆国の首都をワシントンDCだと知っているかどうかさえ、大いに疑わしい。

実際、ウェス・アンダーソンのこの期待の新作にあっては、地理的な方位と距離感はあからさまに無視され、海があり、陸地があれば、それだけで映画として充分に成立するというかのように事態は推移する。歴史的な時間の抽象化をかりにポストモダンと呼ぶとするなら、『ライフ・アクアティック』の画面が軽々とやってのける歴史的な空間の爽快なまでの無視を、いったい何と呼べばよいのだろうか。 その答えもすぐには見いだせぬまま、人は、アメリカ合衆国が――恐らくは、それと意識することもないまま――発信してしまった反=アメリカ的な傑作誕生の予感に胸を躍らせる。「帝国」などといっている場合ではない。『ライフ・アクアティック』は、ことさら声も荒らげることなく、そうつぶやいているのかもしれない。事実、いったんベラフォンテ号に乗り込んでしまえば、「帝国」の版図など誰にも思い描けはしないだろう。

確かに、冒頭の国際映画祭でのプレミア上映のあと、司会者はイタリア語をしゃべるし、観客の女性はフランス語で質問する。だが、それは舞台の抽象性をきわだてこそすれ、ヨーロッパ的な地域性は皆無である。非警戒水域に出没する間の抜けた海賊はどうやらタガログ語を話しているらしいのだが、ベラフォンテ号がいつの間にかフィリッピン近海に迷い込んだ気配もいっさいない。いきなり登場するズィスーの息子かもしれないネッド(オーエン・ウィルソン)はケンタッキー航空の副操縦士を自称するし、銀行から派遣される監視役はチューリッヒから来たことになっているが、そうした土地の名のことごとくは、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作のそれ以上に具体性からは遠い。

黒人の事故防止係セウ・ジョルジがポルトガル語で歌うデヴィッド・ボウイの曲のように、すべてはありうべき世界からすれすれのところで離陸し、微妙に行き違ったかたちでフィクションという名の新たな現実におさまる。『ライフ・アクアティック』は間違ってもファンタジーなどではなく、見る者を惹きつけるのは、この新たな現実としてのフィクションにほかならない。それがファンタジーでないことは、見かけは何の変哲もないベラフォンテ号の内部が、『タイタニック』の豪華客船のそれより遥かに精巧に造形され、その構造が誰の目にも見通せるように撮影されていることからも明らかである。それをCGの助けなどいっさい借りず、クレーン撮影を律儀に援用しながら手作り感覚で視覚化してみせるあたりにも、映画作家ウェス・アンダーソンのあなどりがたい野心がうかがわれる。

ところで、落ち目といわれるドキュメンタリー映画作家スティーヴ・ズィスーが新たにチームまで組み、金策に奔走しながらも新作の撮影を始めたのは、年来の潜水仲間だったエステヴァンを食いちぎったという未知の生物をキャメラにおさめる意図があるからだ。海底でその場に立ち会っていたはずのズィスーもその怪物をしかとは認識しえず、一面まだら模様におおわれた巨大なサメのようなものとしか口にすることができない。スタッフは、それをとりあえず「ジャガー・シャーク」と呼び、海賊にも脅えずに航海を続ける。

サメの周航海域に近づいたとはいえ、その雲をつかむような野心のために、ビル・マーレイ、オーウェン・ウィルソン、アンジェリカ・ヒューストン、ケイト・ブランシェット、ウィレム・デフォー、ジェフ・ゴールドブラムといった錚々たる顔ぶれが、いつ水圧で潰れても不思議でない古びた潜水艇に乗り込むシーンに、見る者は鈍い感動をおさえきれない。緯度も経度も心得ないズィスーが操縦桿を握る潜水艇は、無事、「ジャガー・シャーク」に遭遇できるのだろうか。それについては口をとざすしかないが、ウェス・アンダーソンとともに、ハリウッドが21世紀にふさわしい真のフィクションを人類に提示しえたことだけは、熱い賞賛の言葉とともにいいそえておく。 

 

初出:『Invitation』2005年4月号(26号)

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