喪中のゴダール『JLG/自画像』

蓮實重彦

戦下のサラエヴォあたりでコピーされたとしか思えない粗悪な子供の肖像写真が、窓ぎわで戸外の鈍い光線を受けとめている。それが、ゴダールの『JLG/自画像』の導入部で人が目にするイメージである。いかにも時代ものめいた電話のベルなど背後に響いていたようにも思うが、人は、まずこの不出来なモノクロームの肖像写真に目を奪われ、誰も受話器をとりあげそうにない気配にいらだったりはしない。どうしてそんなことになるのかは定かではないが、ひたすら瞳を凝らしてスクリーンを見据えるのみである。

誰にも少年だったり少女だったりした時代はあるのだから、ジャン=リュックにもそのころの写真が残されていて何の不思議はない。見る者は思わずそうつぶやきはするが、それがはたして本当に彼自身の肖像写真なのだろうかと訝らずにもいられない。何しろ、相手はあのゴダールなのだから、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの幼い犠牲者の写真などを捜し当て、それを自分の少年時代の写真だなどと強弁することだって大いにありうる。そもそも、どんな理由で、ここに子供の肖像写真がいきなり登場しなければならないのか。

正直なところ、粗悪な肖像写真が再現している少年の容貌は、とりわけ利発そうでもなければ、瞳を放棄して思わず同化せずにはいられないほど愛くるしくもない。画面の背後には、どこかで遊んでいるらしい子供たちの無邪気な叫び声が低く響き、犬まで孤独に遠吠えしている。ロジェ・レーナルトの『最後の休暇』のサウンド・トラックから来ているらしいそんなもの音をかきわけるようにしながら、ゴダールその人のナレーションがいつもの舌足らずな口調で始まる。それに耳を傾けてみると、他の人なら死が訪れてから喪に服するものだが、私の場合は、まず喪に服することから人生を生き始めたなどと、ぶつぶつとつぶやいている。

追悼が逝去にさきだつという時間=歴史を身をもって生きること。それが、ここでJLGを名乗る主体の自己同一性なのだと『JLG/自画像』はいいたいらしい。おいそれとは訪れそうもない死を待ちながら、喪としての生涯を送り続けて来た男がここにいる。その「肖像画」をこれからお目にかけよう。あたかもそういうかのように、彼は、おもむろに、革命期の共和暦「霧月」の一語をつぶやく。

かりに、それが『JLG/自画像』というフィルムだとするなら、ここにはいつものゴダール的な時間の取り違えが描かれている。実際、映画が「12月の自画像」と副題されているとおり、ジャン=リュックは確かに12月に生れている。だが、共和歴の「霧月」は10月から11月にかけてのことにすぎず、ここでのナレーターは、あたかも生誕以前におのれの生誕を語り始めてしまうという不注意をまぬがれていないかにみえる。あるいは、ことによると、「霧月」に当たるある日、間違っても時刻通りに姿を見せたりはしないジャン=リュック少年は、いきなり喪服姿でサロンに現われたりして、招待客と対応している母親を当惑させたりしたのかもしれない。「どなたか、お亡くなりになったの?……」、「いいえ……」。母親は低くそうつぶやき、黒ずくめの幼いジャン=リュックをそっとサロンから追いやる。そのときの記憶が六十数年後によみがえり、老年と呼ぶにふさわしい年齢のゴダールに、この映画を撮らせているのかもしれない。人は、どこにも存在しないそんな光景を、つい思い描いてしまう。あたかもその種の反応を予期していたかのように、ナレーターの言葉は几帳面な弁明へと移行する。ことわっておくが、私は、誰か親しい他人が亡くなったから喪に服しているわけではない。私は、ただ、私の喪に服しているにすぎない。たった一人しかいない私の友人である私自身の喪に服していたのだ……。

だとするなら、『JLG/自画像』は、またしても時刻を取り違え、自分自身の死の早すぎた追悼の儀式を演じる男の肖像画ということになるのだろうか。世界がなお存続しているかに見えるのは愚かな錯覚にすぎず、世界はとうの昔に終焉している。そして、詩人だけが、その終焉を身をもって生きつつ、それを追悼しうる存在なのだ。ゴダールは、そういいはるのだろうか。だが、そんなことなら、1世紀以上も前に、ドイツ・ローマン派の詩人たちが、得意のイロニーをたっぷりこめてやっていたことではないか。20世紀末のレマン湖畔にさまよいだした時代遅れのドイツ・ローマン派詩人ゴダール!……これは亡霊なのか、それとも出来損ないの反復=コピーなのか。

もちろん、冗談もほどほどにするがよいと舌打ちして、『JLG/自画像』を見るのをきっぱりやめることもできる。映画にはどこかしら楽天的なところがあるので、彼が映画作家であったら、みずから生命を断つことなどなかったはずだという言葉で画家のニコラ・ド・スタールを追悼したのは、お前さんではなかったのかい。そのご当人が、死の訪れる以前から喪に服していたなどとうそぶいてみたって、そんな言葉を誰が信じられようか。そう口にしながらスクリーンから遠ざかることは、決して禁じられていない。

にもかかわらず、あなたが『JLG/自画像』を最後まで見てしまうのは何故なのか。それが、映画を見るという習慣の恐ろしさなのだろうか。ゴダールのいつもの悪い冗談とつきあうことが、刺激的な体験だとまではいわぬにしても、暇つぶしとしては決して不快ではないからだろうか。それとも、いいっぱなしの無責任な断言にこそ、読むべき意味が隠されていると信じるからだろうか。あるいは、ゴダールが、黙ってそれを見るか、黙ってそれを見ずにおくかの選択しか許さない過酷な映画作家だからだろうか。

粗雑なコピーとしか思えない少年時代のジャン=リュックの肖像写真を見ながら、この瞳は、まだ何ひとつ見てはおらず、今後もまた見ることはあるまいと人は確信する。それが映画作家ゴダールの瞳へと変貌するには、この少年は死ななければならない。アウシュヴィッツなり、パレスチナなり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなりで死ななければならない。にもかかわらず、少年ジャン=リュックはアウシュヴィッツにも、パレスチナにも、ボスニア・ヘルツェゴヴィナにも立ち会いそびれたまま、レマン湖畔を今日も徘徊している。だとするなら、ジャン=リュックは、かりにフィクションであろうとその死を演じきり、しかるのちに喪に服すことで映画作家ゴダールとならねばならない。そして、その追悼の身振りが、映画が自分とともに終焉したというフィクションを支えてくれれば申し分あるまい。

かくして、『JLG/自画像』は、「父親殺し」ではなく、奇怪な「息子殺し」の物語として20世紀末の人類に送りとどけられることになる。その物語は、自分が映画作家となるために自分自身であった少年を殺戮した瞬間以降、映画など存在することを許さないという宣言でもあるはずだ。事実、ゴダールの『映画史』は、自分より年下の映画作家の存在など一人として容認しないという宣言にほかならなかった。そのアリバイを、あなたは認めるか、認めないのか。いま、過酷な選択があなたの目の前につきつけられている。

 

執筆年:2002年
初出:「中世の里 なみおか映画祭」パンフレット

 

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