ゴダールの「孤独」――『映画史』における「決算」の身振りをめぐって

蓮實重彦

I 欠陥

はた目には気になる欠陥の一つや二つは誰もがかかえこんでいるはずだから、ジャン=リュック・ゴダールがそれをまぬかれていると思うのはもちろん愚かな錯覚である。実際、彼には何とも人騒がせな性癖がいくつもそなわっており、そのほとんどは、映画作家としてのキャリアが40年を越えようとしているいまにいたるも、いっこうに改善されるきざしがみえない。二つの世紀を跨ぎ越えるはた迷惑な欠陥として社会的な制裁を蒙ってもよさそうなものだが、それに脅える気配など彼の周囲にはいっさい漂ってはいない。

ことによると、「異星人」JLGにとって、それがごく自然な振る舞いなのだろうか。それとも、人騒がせではあっても「犯罪」の閾には達していないとみなされ、生まれつきの不器用さとしてその性癖が許されてしまったとでもいうのだろうか。

どこの家庭にもそんな子供が一人ぐらいはいて不思議はないが、ゴダール家のジャン=リュックの場合は、成人したのちもなお、あらゆる待ち合わせに遅刻せずにはいられないという習性を捨てきれずにいる。意図的か否かはひとまずおくが、映画監督ゴダールは、約束の時間に間に合ったためしがないのである。「間に合わないこと」。それこそ、彼の人騒がせな性癖の中でもとりわけ厄介な一つにほかならない。

実際、『ゴダールのリア王』に登場する映画監督が期限通りに作品を完成させたりはしなかったように、いたるところで約束は履行されずに終わる。昨今の来日中止騒ぎもそうであったように、彼も一応は口約束めいたものを微笑とともに交わしはするらしい。だが、それがどんな言葉遣いによるものであろうと、たがいに確認しあっておいたはずの時刻に姿を見せることなど、まずないと考えておいたほうがよろしい。それで決定的な瞬間を取りのがそうと、そんなことを彼はまったく意に介さない。

こうしたはた迷惑なゴダール的性癖は、もちろんそれにとどまるものではない。むなしく時間をやりすごすという姿勢にも、彼はいたたまれない苛立ちを覚えてしまう。映画監督ゴダールは、何につけても「待つ」という姿勢だけは我慢できないのである。だから、探しものが見つからぬ場合など、まわりにあるものを何でも手当り次第にとりあげ、それで問題を解決したことにしてしまう。

事実、ゴダールの映画には、そうしたやりかたのほうがはるかにふさわしい。リチャード・バートンとシルヴィー・ヴァルタンを主演に迎えるという当初のアイディアに固執し、そのための厄介な資金集めやスケジュール調整などを時間をかけて行なっていたとしたら、『気狂いピエロ』という美しい作品など生まれはしなかったからである。たまたま彼の身近にいたアンナ・カリーナとジャン=ポール・ベルモンドでさっと撮り上げてしまったがゆえに、ゴダール特有の色彩がとりわけきわだったのである。

この性急さを「待てないこと」と翻訳しよう。それが人騒がせなゴダール的性癖の二つ目にほかならない。実際、探していた書物が本屋の棚に並んでいなければ、たまたまそこにあった別の書物をあっさり買い求め、それで満足してしまうのが彼なのだ。「待つ」ことなどもってのほかで、間違っても版元から取り寄せるといったのんびりした解決を求めたりはしないだろう。マリヴォーの戯曲の代わりにミュッセでことをすませてしまう『フォーエヴァー・モーツアルト』の挿話が、そんなゴダール的性癖の一貫性をあっけらかんと証拠立てている。あらゆる事態に即断をもってあたるのを原則としているので、何かを期待して時間を引きのばしたりすることなど、彼の目には、およそ想像しがたい無駄な振る舞いとしか映らないのである。

約束の時間には決まって「遅刻」し、「待つこと」も苦手だというゴダールの傍若無人ぶりは、たしかに目に余るものがある。そんな人騒がせな映画作家には、さらに厄介な三つ目の性癖がそなわっている。それは、やはり時間をめぐる生来の不器用さとして姿を見せるものである。不器用さというより、この性癖はむしろ意地悪と呼ぶべきかもしれない。実際、彼には、それが親しい仲間であろうと、他人にただでものを与えるということができない性格なのだ。

「与えないこと」。この三つ目のゴダール的な欠陥は、いくつもの異なるかたちをとっていたるところに観察される。たとえば、時間とともに自分の中に堆積したものを、貴重な何かとして他人に譲り渡すという大らかな振る舞いに、彼はいかなる意味も見いだしていない。事実、『映画史』は映画の歴史の豊かな拡がりを何ひとつ教えてはくれない。交換の人ジャン=リュックは、贈与をいっさい認めないのである。

だからといって、そこから彼がことのほか吝嗇な男だという結論を引き出すことはつつしまねばならない。事実、彼は、ときおりどきりとするほど多額な謝礼を与えることでまわりのものを茫然とさせる。一人のスタッフの証言によれば、あるビストロを借りての撮影を終えた後、プロデューサーの提示した額の四倍もの紙幣を、彼は店の主人に手渡してしまったのだという(1)。そこから、彼の金銭感覚には到底ついて行けない人もでてくるのだが、そこに彼なりの原則が働いていることはたしかなのだ。つまり、ゴダールはあくまで正当に対価を支払ったまでであり、彼の頭の中では、その途方もない金額もしかるべきバランスがとれているのである。彼が認めないのは、あくまで無償の贈与だ。

「与えないこと」。それは、当然、ただでは「受け取らない」ことをも意味している。たとえば、先行の批評家たちから、若いジャン=リュックは何ひとつまなびはしなかった。フランク・ボゼージの『河』のマリー・ダンカンが素晴らしいとジャン=ジョルジュ・オリオールから何度も聞かされたときも、青年ゴダールは、たんに「借り」としてその事実を記憶をとどめたにすぎない。だから、老年期に足を踏み入れてから、『映画史』の「3A」であえてその批評家の名前を挙げ、律儀に「借りを返す」ことを忘れないのである。

もっとも、「借りを返す」にあたって感謝の言葉一つも口にしていないところが、いかにもゴダール的である。フランソワ・トリュフォーやヴィム・ヴェンダースといった映画作家と彼をへだてているものは、いかにもぶっきらぼうなその対人関係にあるというべきだろう。負債はすでに支払ったのだから、それにそえるべき言葉があろうなどと彼は思ってもいない。ゴダールの『映画史』がいささかも教育的ではなく、むしろその廃棄をめざしているかにみえるのはそのためである。フローベールの『感情教育』がしばしば話題になったとしても、「教育」という無償の体験は廃棄されるしかない世界に、「異星人」JLGは生息しているのである。

後世の不特定多数の存在に希望を託したりはせず、すべてを自分一代で完結させようという孤独な意志の実現としての『映画史』。たしかに、「4B」の終わりちかくで、作曲家に自分をなぞらえるゴダールは、「時代を聞き取る耳」をしめし、「その時代のことを聞かせて……未来に姿を現わしてもみたい」とのべてはいる。だが、同時に、「ある活動が一つの芸術にまで高まるのは、その時代が終わってからのことでしかない」ともいっている。当然、『映画史』を撮ったゴダールは、後継者など持ちうるはずもない。そして、おそらくは、映画もまた、継承者の不在によってかろうじて映画たりえているにすぎない。

II 決算

すでに明らかになり始めているとは思うが、ここにとりあえず列挙した三つの厄介なゴダール的性癖は、間違ってもジャン=リュック個人の性格的な欠陥なのではない。それは、ゴダールが映画作家として引き受けた映画の歴史的な現実に由来する必然的な身振りなのである。この世界で生きて行くには、そうしなければならないという職業的な心構えのようなものだというべきかもしれない。映画から借りたものは、映画に返す。これがゴダールの原則なのである。

たとえばマーチン・スコセッシのようにたんなる「映画好き」がそのまま成長して映画を撮っているような監督に、この言葉を口にする覚悟はない。また、その自覚さえありはしないだろう。彼らと『映画史』の作者をへだてているのは、この「貸借関係」をゼロにしておかずにはいられないゴダール的な「決算」の姿勢にほかならない。

「借り」のないものについてはいっさい語らない。この原則を、ゴダールは一瞬たりとも見失いはしないだろう。そのかぎりにおいて、タルコフスキーも、ホウ・シャオシェンも、キアロスタミも、その作品の題名がちらりと登場していようと、『映画史』の主要な登場人物とはなりえないのである。彼らには「貸し」こそあれ、「借り」はいっさいない。ゴダールがそう凛々しくいい放つとき、その言葉を導き出したはずの「与えないこと」という原則は、もはや欠陥とは呼べなくなっているはずだ。

「間に合わないこと」、「待てないこと」、「与えないこと」。この三つの性癖を通して、ゴダールは一挙に映画に近づく。近づくというより、ほとんど重なり合ってしまうといいかえてもよい。事実、1895年に誕生した映画は、19世紀に「間に合わなかった」。それが『映画史』の主要なモチーフだったことは誰もが記憶しているはずだ。ゴダールは、「2B」の冒頭で、セルジュ・ダネーに向かって、「わたしなら、映画は19世紀の問題で、それが20世紀に解消されたといいたいところだ」と口にしているからである。

これまた『映画史』や『フォーエヴァー・モーツアルト』や『愛の世紀』でも語られているように、映画は「人民戦線」にも、「スペイン内戦」にも、「レジスタンス」にも、「アウシュヴィッツ」にも遅れて到着することしかできなかった。フィクションを撮っていた偉大なる監督たちは、ルノワールでさえ、この時期、「現実の復讐を統御しえなかった」からである。生誕の瞬間にはかろうじて維持されていた時間との正常な関係はたちまち崩れ、映画は、遅刻の常習者として20世紀を生きるしかなかったのだ。それが、映画の背負い込んだ「宿命の美」にほかならない。

そのことに気づくなら、「待てないこと」が映画そのものの厄介きわまりない性癖であることもたやすく納得しうるはずだ。実際、もし、映画が「待つ」ことさえ知っていたら、「ありえたかもしれない『映画史』」は、さらなる拡がりを持ちえたはずである。だが、写真術から豊かな資産をうけついでいたはずの映画は、自分自身の潜在的な資質がどんな可能性を秘めており、それが顕在化されればどんな威力を発揮するかを時間をかけて探ろうとなど、一度たりともしなかった。

映画は、文字通り「待てない」のである。だから、おのれの深部にじっくりと視線をそそぐことをおこたり、たまたまかたわらにあった「性と死」と深い関係を結んでしまう。そのことで「思考する形式」たりえたはずの映画は、早い時期から「どこにも通じない道」に迷いこむしかなかったのである。「マフィアのちゃちな会計係」の思いつきにすぎない「シナリオ」にとびついてしまったばかりに、映画は「視覚」としての自分さえ見失わざるをえなかったのだ。

「何も与えない」こともまた、映画にふさわしい特権的な身振りである。というより、映画には、そもそもの始まりから、何ひとつ「与える」べきものなどなかったというほうが正確かもしれない。リュミエール兄弟が映画には未来がないと宣言したとき、そのことに充分すぎるほど自覚的だったはずだ。にもかかわらず、自分の持ってはいないものばかりをひたすら与えつづけたのが映画だ、という見方も成立する。しかも、人びとは映画から無理に「奪ったもの」を何ひとつ映画に返したりはしなかった。その結果、「何も与えない」映画は、むなしく「夢の工場」となるほかはなかったのである。いま、「貸借関係」をゼロにするゴダール的な「総決算」が必要なのは、そのためである。

その「総決算」という言葉を耳にして、ゴダールがいよいよ「映画の死」を口にし始めていると考えるのは、何とも愚かな錯覚だというほかない。ごく個人的な作品だから、ここでは好き勝手なことをいくらやっても許されると考えることもまた、愚かな錯覚である。『映画史』では、「間に合わないこと」、「待てないこと」、「与えないこと」としてある映画の歴史だけが問題なのであり、その圏外にある個々の作品はことごとく無視されるだろう。

この無視は、生存にかかわるものであり、いささかも個人的な趣味を反映したものではない。ゴダール的な性癖と映画の歴史とが寸分の狂いもなく重なり合うというまさしくその一点において、『映画史』は、ゴダール個人の人騒がせな性格からゆっくりと身を引き離し、普遍的な「思考の形式」をめざしてまがまがしくも飛翔するのである。だから、『映画史』に、間違っても「普遍的な映画の歴史」など読んではならない。それは、そこに「個人的な映画の歴史」を読むことに劣らず愚かな姿勢である。人びとがここに読むべきものは、「決算」という身振りの普遍性につきているからだ。

III 遅刻

いずれにせよ、ゴダールは「遅刻」するしかない。彼は映画の誕生にも立ち会えなかったし、無声映画の隆盛期の生きた証人となることもなかった。何しろ、彼が1930年に生誕するよりも数年前に、合衆国に移住していたムルナウは、すでに『サンライズ』を撮り上げてしまっていたのである。『ファウスト』の監督は、木立の中から滑るように姿を見せるあの路面電車にキャメラを向け、一組の若い男女を乗せて新世界の都会に向けて滑ってゆくそのイメージをしっかりとフィルムにおさめていたのである。

ムルナウに「間に合わなかった」こと。それはゴダールにとって決定的な事態を意味している。「取り返し」がつかぬ「遅刻」というほかはないからである。もちろん、グリフィスはいうまでもなく、初期のフリッツ・ラングにも彼は「間に合わなかった」。だが、批評家時代のゴダールは、アメリカ時代のラングの作品をいくらでも擁護することができたし、隠棲していた晩年のラング自身にあえて出演を依頼し、ブレヒトの詩を、ブリジット・バルドーに向けた台詞としてつぶやいてもらうという贅沢さえできたのである。ゴダールはフリッツ・ラングには「間に合った」のであり、『軽蔑』は、この偉大なる映画作家に対する「貸借関係」をゼロとするための彼なりの「決算」でもあったわけだ。『勝手にしやがれ』の最後でジャン=ポール・ベルモンドにグリフィスの『散り行く花』のリリアン・ギッシュの身振りを模倣させたとき、彼女は、まだ「現役」のハリウッド女優だった。だからゴダールはグリフィスにもかろうじて「間に合った」のだといえる。だが、彼が生まれてから一年もしないうちに事故で他界してしまったムルナウに対して、その機会は永遠に奪われている。では、どうすればよいのか。

ことによると、誰でも何ごとかには遅れて生まれるしかないのだから、ゴダールがムルナウに「間に合わなかった」ことなど、ことさら問題とするには当たらないという人がいるかも知れない。だが、その種の一般論は、このさい何ごとも解決しない抽象的な言葉である。ゴダールがその一翼をになっていた「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは、まさに『サンライズ』以前にマルセル・カルネの『霧の波止場』やクロード・オータン=ララの『乙女の星』を知ってしまった者たちの、映画に対する居心地の悪さを「決算」する試みにほかならなかったからである。事実、『映画史』の「3B」の章で、ゴダールは、その居心地の悪さこそが「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアイデンティティだったと明言している。

「ある晩、われわれは、アンリ・ラングロワのもとを訪れた。そして光が生まれた」とゴダールはつぶやく。だが、この言葉を、当時はメッシーナ街にあったシネマテーク・フランセーズにかよいつめたゴダールとその仲間たちが、そこではじめて、「映画」に出会ったと翻訳するだけでは充分でないし、むしろ誤訳だといわねばならない。事実、存在するすべての映画を浴びるように見るだけでは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」はまだ成立しないのである。シネマテークのネズミどもが浴びた「光」には、自分たちが何を知らずにいる存在であるかを「不在」によって容赦なく照らしだし、そのいたたまれなさをきわだたせる効果がそなわっていたからである。

その「不在」の一つが、フランク・ボゼージによる『河』のマリ-・ダンカンであることはすでに触れておいたとおりだ。二つ目がエイゼンシュテインの『十月』や『メキシコ万歳』の群衆であり、三つ目が『サンライズ』の路面電車にほかならない。この「不在」の選択には明らかにゴダール的な凝縮が働いており、もちろんこれがすべてだというわけではない。しかし、たまたま選ばれたものに排他的な決定性をおびさせてしまうところに、ゴダール的な凝縮の有効性を超えた怖しさがある。

これら三つの作品は、いずれも見ることのできない映画だったのであり、その「不在」を気づかせるきっかけとなったのが、批評家であり映画史家でもあったジャン=ジョルジュ・オリオール、ジェイ・レダ、ロッテ・アイスナーの三人だった。マリー・ダンカンと群衆と路面電車は、シネマテークの存在にもかかわらず「なお禁じられ、つねに不可視なもの」たり続けていたのであり、その「不在」こそが、ゴダールとその仲間の背後から映画を照らしだしてくれた光の正体なのだ。ラングロワは、素知らぬ顔で、その「不在」の放つ光を組織する魔術師だったのである。

「そうではないか、ジャン=ジョルジュ・オリオールよ……ジェイ・レダよ……ロッテ・アイスナーよ」という「不在」に向けられたゴダールの呼びかけは、『映画史』に硬質の叙情を導入する。かつてあったものを見失ったものの湿った郷愁ではなく、それに「間に合わなかった」ものの郷愁を欠いた記憶。事実、「真の映画は、われわれの田舎じみた眼にとっては、フレデリック・モローが夢想するアルヌー婦人の顔つきさえしていなかった」。だから、ここで感情の糸を震わせているのは、「遅刻」したものだけが知っている「取り返しのつかなさ」の物質化された自覚にほかならない。「物質と記憶」、あるいは「物質の記憶」。この思い出を知らぬ記憶によって、ジャン=リュックは「異星人」JLGへと変貌する準備を整える。

ゴダールがムルナウに「間に合わなかった」ということは、だから、『サンライズ』がジャン=リュック自身の生誕以前にすでにこの世界に存在していたという時間的な前後関係とはいっさい無縁の事態を意味する。「遅刻」とは、何にもまして「不在」の体験なのである。あの路面電車の息をのまずには見られない滑走運動を知らなかったにもかかわらず、人なみのフランスの青年として、ゴダールはルネ・クレールやカルネやオータン=ララをごく自然に知ってしまっていた。そのことの「取り返しのつかなさ」の自覚だけが、「間に合わなかった」という現実をきわだたせるのである。そこに、初めて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が生まれる素地がかたちづくられる。

ムルナウに「間に合わなかった」ゴダールは、こうして、物質化されたいたたまれなさとともに映画と接しつづけることになる。それが募らせる時間感覚の揺らぎに対して、もっと早く生まれていればよかったという自戒の念は、映画などいつでも見られるという慰めの言葉と同様に、いかなる力ともなりがたい。映画作家ゴダールは、真の「遅刻者」としていたたまれなさに立ち向かうことで、「ヌーヴェル・ヴァーグ」にふさわしい映画作家となったのである。

かくしてゴダールは、はた目には堂々と「遅刻」することになるだろう。そして、それが、映画作家として、いささかも例外的な振る舞いではないことを立証しつづけねばならない。したがって、「決算」の試みであった『映画史』は、実践的な「立証」の試みともならなければならない。その過程で、彼はシャルル・ペギーとジョンフォードとに同時に出会う。

『映画史』の「4B」に引かれているシャルル・ペギーの言葉にもあるように、「一秒の歴史を書くには……一日の歴史を書くには……永遠の時間が必要となる」。映画作家とは、ペギーの『クリオ』の女主人公のように、そもそも間に合うはずのない仕事を請け負う不条理な存在にほかならない。その不条理をごく自然なものに仕立て上げるために、歴史家が持つことのなかったプロデューサーという職業が成立する。その仕事は、物質化されたいたたまれなさをときほぐし、監督を「不在」の光から解放することに存している。

すでに神話化されている監督と製作者との対立は、だから、芸術か金銭かという不毛の二者択一にはとうてい還元しがたいものなのである。作品の「存在」を当然視するのが製作者だとするなら、監督にとって、それは決して自明のものではない。映画作家が向き合っている「不在」の光というものが、製作者の目には映るはずもないからである。だから、製作者は、撮影の遅れを、システム上の計算によっていくらでも回避できる人為的な事故だと確信するしかない。「存在」と「不在」をめぐるこの行き違いから、完成の時期をめぐる多くのトラブルが発生するのだとは考えられないことがプロデューサーの宿命なのだ。

ジョン・フォードがかろうじて時間通りに撮影を終えることができたのは、プロデューサーにせきたてられるたびごとに、涼しい顔で脚本の数ページ分を、撮影現場で破り捨ててしまったからだ。これは、シャルル・ペギーとは異なり、「存在」しないものは撮れないというユーモラスな解決である。フォードにならって、ゴダールも『フォーエヴァー・モーツアルト』のドゥルーズを思わせる映画監督ヴィッキーに、脚本を破る仕草を模倣させている。

だが、なぜジョン・フォードなのか。『映画史』にも『捜索者』からの抜粋が何度か登場し、『フォーエヴァー・モーツアルト』でもその名に言及されているのはなぜか。アンドレ・バザンを「決算」するためである。フォードを否定することで成立したといってもよいバザンの映画信仰から、ゴダールは、その後に発見したフォードによって解放されたと確信しえたのである。どこかしらバザンを思わせもするシャルル・ペギーだけでは、その『映画史』が単調になりかねぬという強い自覚が働いていたのである。

だが、ジョン・フォードを模倣するこの仕草は、必ずしもゴダールにふさわしい身振りとはいいがたい。涼しい顔で「遅刻」をまぬがれてみせるフォードとは違い、彼の場合は、むしろ「遅刻」を実践的に正当化すべき立場に置かれているからだ。そのため、これまでのゴダールの映画に登場したほとんどの映画作家たちは、何らかの理由で撮影のリズムを崩され、完成期限に「間に合わない」という事態を体験せねばならなかったのである。

たとえば、『万事快調』の映画監督イヴ・モンタンは、組合のストライキで撮影のリズムを大幅に狂わされてしまう。『パッション』の映画監督ジェルジー・ラディヴィロヴィッチは、照明の具合が悪いという理由ではかばかしく撮影が進まず、頭をかかえこむしかない。精神病院で治療中の『カルメンという名の女』の映画監督ゴダールは、そもそも姪の犯罪に利用されただけのピエロのような存在で、撮影にとりかかるきっかけさえ見いだせずにいる。なぜか撮影の企画がまいこんだ『右側に気をつけろ』の「白痴」ことゴダールの場合は、空港のタラップを降りかけたところで足をふみはずし、かかえていた完成フィルムのロール缶を放り出し、納期に遅れそうになる。『リア王』や『フォーエヴァー・モーツアルト』の映画監督がどんな立場に置かれていたかは、すでにみたとおりだ。ゴダール的な映画作家のまわりでは、いたるところで予期せぬ事件が起こり、「遅刻」が日常化されている。いずれにせよ、ゴダールは「遅刻」するしかないのである。

だが、それは奇妙なことではないか。ペギーとともに「一日の歴史を書くには……永遠の時間が必要だ」と口にしていながら、ゴダールその人は、映画「百年の歴史」を『映画史』としてとにかく撮り上げてしまっている。のみならず、「未完に終わった映画のすべてを語る」とまでいっていながら、「1A」に引用されたエイゼンシュテインの『ベージン平原』やオーソン・ウェルズの『イッツ・オール・トゥルー』のような未完の作品など、彼は一つとして残してはいないのである。だが、『映画史』こそ、それに拮抗すべき偉大な「未完」の作品たる資格をそなえていたはずではないか。だというのに、人びとの前に投げだされたのは、まぎれもない完成品なのである。

たしかにゴダールは、『JLG/自画像』の中で、「実現しなかった映画のリストは途方もなく長い」といってはいる。だが、いったん撮り始めた映画は、たとえ納期が遅れようと、必ず完成させている。それによって、エイゼンシュテインやオーソン・ウェルズのような「呪われた作家」に仲間入りする機会をみすみす逃しているのはなぜなのだろうか。

ことによると、ゴダールは、自分のあらゆる作品がそうであるように、『映画史』もまた未完成だといいはるのだろうか。実際、構想のある段階では、「1A」に始まり「4B」で終わっている現在の構造とは異なり、「A」も「B」もそえられていない「5」という独立の章を彼が撮るつもりでいた形跡がある(2)。その「5」が放棄された理由は何か。あるいは、その放棄は決定的ではないというのだろうか。ゴダールに、なお「待つ」ことが可能だというのだろうか。

IV 性急

「待つ」ことなどとても我慢できないゴダールは、撮り上げられた一本の映画を、構成された意味作用の場としてとらえようなどとは、はなから考えていない。何かにつけて「性急」な彼は、そこにかたちづくられているはずの文脈と、その中でたしかな輪郭におさまるだろう意味へとたどりつこうとする緩慢な歩みに同調する意志を、あらかじめ放棄している。そもそも映画は「待たない」ものなのだから、「待つ」といったのんびりした姿勢でこれに接していたのでは、映画そのものを取り逃がしてしまうだろう。すべては、一瞬ごとの勝負にかかっている。

『映画史』が「性急」さの擁護と顕揚として撮られていることは、誰の目にも明らかである。「宇宙の統御」と題された「4A」の中心ともいうべき「アルフレッド・ヒッチコックの方法序説」で語られているのは、まさしくそれである。しかし、その「性急」さは、たとえばジャック・ランシエールがいっている「筋に対する映像の優位というゴダールの本質的なテーゼ」などとはいっさい無縁のものである(3)。

たしかにゴダールのいうごとく、『海外特派員』の「ジョエル・マークリーがオランダに何をしにいったか」を忘れてしまった人も、あの風にさからって逆向きに回転する「風車のことは……覚えている」かもしれない。ゴダールは「沙漠の中のバス」といっているがじつは「トウモロコシ畑の中のバス」や、『断崖』の「白いミルク」や、『汚名』のワインセラーに「並んだボトル」のことだけは誰もが覚えているというのだが、それに先立つ画面の連鎖のことを、彼は本当に忘れているのだろうか。もちろん、彼にしても、それをまったく覚えていないわけではない。ここでのゴダールの「性急」なレトリックから読みとるべきは、あたかも忘れてしまったかのように振る舞うことで、彼にとってのヒッチコックが初めて成立するという視点でなければならない。

ランシエールは、ゴダールに対する反駁可能な視点の一つとして、「物語的な状況に完全に由来する感情的な負荷」によってそうした細部がきわだつにすぎず、「画面の絵画的な特性によってではない」と書いている。なるほど、この主張は、一般論としての映画解読には妥当しうるかもしれない。だが、ゴダールにとってはまったく役に立たない指摘だというしかあるまい。というのも、「アルフレッド・ヒッチコックの方法序説」がごく簡潔にいっているのは、「物語的な状況に完全に由来する感情的な負荷」の増大などにつきあっている暇は自分にはないという「性急」さの擁護と顕揚にほかならぬからだ。

さすがに「単に映像を物語的な連鎖から切り離すこと」だけが問題なのではないと気づき、重要なのは「映像の本性を変えること」だとその視点を変更せざるをえないランシエールは、こんどはアリストテレスの「カタルシス」の概念に助けをもとめる。「白いミルク」の入ったグラスを盆にのせてゆっくり階段を上るケイリー・グラントと、寝室のベッドで不安に脅えるジョーン・フォンテインを交互にしめす『断崖』のこの場面に、彼は「すぐれて劇的な情熱である恐れのカタルシス」を見ようとするのである。「同一化を誘う様態で引きおこされると同時に、不安を横断してそれから解放される知の戯れにおいて浄化され、軽減される」という二重の効果がそこにこめられていると、彼はいう。

だが、ヒッチコックをめぐってアリストテレスの「カタルシス」を持ちだすというこの芸術学的な視点は、たんに誤っているという以前に、あまりにも無益な試みだといわねばならない。「風車」や「バス」や「白いミルク」や「並んだボトル」は、アリストテレス的な作劇術における物語の終局とは何の関係も持ってはおらず、たんに大筋からはこぼれ落ちた細部にすぎない。それにしても、ジャック・ランシエールにはまだ理解できないのだろうか、ゴダールにとって、ヒッチコックという存在が絶対的な矛盾にほかならぬということを。『映画史』が、何にもまして「性急」さの擁護と顕揚であり、その作者が、撮り上げられた一本の映画を、構成された意味作用の場などとはとらえていないということを。そして、「方法序説」のゴダールが、「カタルシス」の前提となる周到に組織されたヒッチコック的持続に、深い苛立ちさえ隠さずにいるということを。

実際、「性急」なゴダールは、ヒッチコック的なサスぺンスなどにひとかけらの興味もしめしてはいない。抒情詩人ヒッチコックが得意とする愛の成就に向けてのゆるやかなメロドラマ的展開にもいかなる関心もしめしてはいない。何であれ「待つ」という姿勢が受け入れがたい彼は、それがヒッチコックによるものであれ、「カタルシス」の導入に不可欠な宙づりの時間に自分を同調させることなどとてもたえられないのである。だから、彼は、その周到な組織化にほかならぬヒッチコックの演出そのものに惹かれたりはしない。ヒッチコックに一瞬遅れて進み、その画面の聡明な連鎖がつむぎあげるみごとな劇的効果を追認したりはしないだろう。そのサスペンスやメロドラマの演出技法をまなびたいというなら、『ヒッチコック=トリュフォー』でも読めばよろしい。だが、自分にはそんな暇などない。『映画史』における「アルフレッド・ヒッチコックの方法序説」は、トリュフォー的なヒッチコックをも「決算」する試みとして受けとめられねばならない。

映画を見るとは、何にもまして早さを競う体験なのだ。そして、その体験において、ゴダールは、たえずヒッチコックよりも一瞬先を疾走しつづけねばならない。「風車」や「白いミルク」や「トウモロコシ畑の中のバス」や「並んだボトル」のイメージは、息をきらせて先回りしているゴダールにヒッチコック的な虚構の持続が奇跡のように追いつく一瞬にほかならない。その奇跡を作品に導入しえたがゆえに、ヒッチコックは「呪われた詩人としては唯一成功した」映画作家とみなしうるのである。

「アルフレッド・ヒッチコックの方法序説」は、「性急」さの人ゴダールが、いかにしてヒッチコックを「決算」するかという試みにほかならず、『汚名』や『断崖』の作者の周到な演出ぶりに捧げられたオマージュではいささかもない。実際、『映画史』の作者は、一度たりともヒッチコックのように、ヒッチコックのような映画を撮ったためしがない。何かの間違いで偶然にもヒッチコックに似てしまうといった体験すら彼には起こっていない。その意味で、彼は、トリュフォーやクロード・シャブロール、あるいはブライアン・デ・パルマのような映画作家とはおよそ異質の世界に暮らすしかない「異星人」なのである。

分析も統合も知らない「異星人」JLGは、文脈によって生成する意味作用というものが理解できない。『右側に気をつけろ』の映画監督が「白痴」と呼ばれていたことは、だから偶然ではないのである。「記号はいたるところに」存在していながら、誰とも「ゲームの法則」を共有しえない「異星人」は、遍在する個々の記号の意味に到達することはないだろう。どれほどその作品にヴィトゲンシュタインの名前が引かれようと、ゴダール=「白痴」は「言語ゲーム」という概念の外に位置するしかない存在だからである。

彼がその作品を通して発信する記号も、構成された意味作用の場をすりぬけ、命題におさまることなくわれわれのもとに送りとどけられる。実際、『映画史』の「2A」の章の題名「映画だけが」が、文字として画面に繰り返し登場するとき、その記号のつらなりは、ジュリー・デルピーの朗読するボードレールの詩編『旅』からの長い抜粋に触れることで、より高度な意味を誘発しているのだろうか。「2B」の章の題名「宿命の美」が、文字として画面に繰り返されるとき、その単語のつらなりは、サビーヌ・アゼマが朗読するヘルマン・ブロッホの『ウェルギリウスの死』の長い抜粋に触れることで、より高度な意味を誘発しているというのだろうか。

いうまでもなく、ゴダールの作品を他の映画作家の作品から引き離しているのは、そこに氾濫しているさまざまな芸術作品の引用である。だが、ここにも「性急」さが姿を見せていることに注意が向けられねばならない。つまり、それが全編の文脈を構成するにあたってもっともふさわしい断片であるか否かの判断に充分な時間をかけたりはせず、むしろ素っ気なさをとどめたまま引用されているからである。マリヴォーが見あたらねばミュッセでことをすませてしまうというあの性癖が、ここにも顔をのぞかせている。そのため、原典との齟齬をきたしたり、細部に誤りが混入することさえしばしば起こるが、それも「遅刻」せずにおくための身振りからくるものであり、人はそのまま受け入れるしかない。

たまたま選ばれたにすぎないものが排他的な決定性を身にまとってしまうというゴダール的な凝縮がここでも強烈に作用している。その意味でボードレールの『旅』と、それを読むジュリー・デルピーの声と表情と、「映画だけが」という記号の繰り返しは、一つの文脈を形成することなく孤独に宙を漂う。同時に宙を迷っているものたちが作用させあう無自覚な吸引の磁力。「わが美しき悩み」としての「モンタージュ」とはまさにそれなのだ。「そこには、作用も反作用もない」というロベール・ブレッソンの言葉が引かれているように、ここでの文脈の形成に貢献しない「モンタージュ」は、いささかもエイゼンシュテイン的な概念なのではない。

もっぱら孤独に流通するその記号は、構成された意味作用の場をはなれたまま、ただ芸もなく「反復」され、あるいは僥倖というしかない何かと「遭遇」することによって、素裸の「強度」において人の心を打つ。『映画史』のいかなる状況がその言葉を導き出したかを記憶してはいない人でも、「映画だけが」や「宿命の美」という記号は忘れずにいるはずだからである。ゴダールは、アルフレッド・ヒッチコックとはまったく異なるやりかたで、記憶の残存を可能にしているのだ。

そのかぎりにおいて、ゴダールの作品が送りだしている視覚的、聴覚的な記号の配置は、厄介な二つのものに似ざるをえない。まず、そこでは、ひたすら「反復」されることで「強度」を深める記号だけが流通しているという点で、ファシズム的な社会の統治機構にかぎりなく接近する。また、同時に、思いもかけぬものとの出会いによって「強度」を深める記号だけが流通しているという点で、信仰という宗教的な体験にかぎりなく接近しもするだろう。

「ファシズム」と「信仰」。この二つのものへの接近の身振りは、一方で、ゴダールを「20世紀」の混沌へと向かわせ、いま一方で、「永遠」の秩序へと向かわせるかに見える。いうまでもなく、それと戯れるには危険がともなう混沌であり、秩序である。だが、その混沌と秩序なしに映画が成立しえないことをゴダールは知っている。事実、全体主義的な統治を夢見ない映画作家などいはしないのだし、故郷の喪失をめぐるある種の詠嘆がそれに寄与することを知らぬ映画作家も存在しはしない。また、永遠を夢見ない映画作家などいはしないのだし、創造が、ときとして奇跡のよみがえりに、あるいは処女懐胎に似てしまうことを知らない映画作家も存在しはしまい。その意味で、映画作家ゴダールもまた、“ほとんど”ファシストとして、“ほとんど”信仰者として振る舞うことをいささかも怖れてはいない。その『映画史』の魅力は、その二つの厄介な事態をあえて回避しようという余裕さえ持とうとはしない「性急」さにあるのだが、はたして、人は、それを真摯な身振りと呼べるのだろうか。

V 教育

『映画史』のゴダールは、「2B」の「宿命の美」において、フリードリッヒ・ムルナウとカール・フロイントをめぐって、「ヒットラーがミュンヘンのカフェで、まだビールを買う金すらなかった頃から、ニュルンベルクの照明は、彼らを発明していた」といっている。また、「3A」の「絶対の貨幣」においては、同時録音の技術さえ確立していなかったイタリア映画がかくも偉大なものたりえたことの理由として、「オヴィディウスやウェルギリウス、ダンテやレオパルディの言葉が、映像の中を通過したからだ」という事実を挙げている。本当だろうかなどと、ことさらいぶかしげに眉をひそめてみるにもおよぶまい。この指摘には、『映画史』のゴダールが向かわんとしているかに見える混沌と秩序への映画の関わり方が素描されているにすぎず、それ以外には何の意味も含まれてはいないからである。

ニュルンベルクのナチスの党大会におけるヒットラーの登場と、それを受けとめる参列者たちの集団的な熱狂ぶりをフィルムにおさめた『意志の勝利』のレニ・リーフェンシュタールが、その照明の技法を、ムルナウとそのキャメラマンであるカール・フロイントからまなんだか否かを検証することには、もちろん何の意味もあるまい。また、ロッセリーニとヴィスコンティとデシーカのうち、いったい誰が、オヴィディウスの言葉を、あるいはウェルギリウス、ダンテ、レオパルディの言葉を継承するにふさわしい映画作家であるかを検証することにも、何の意味もありはしない。オヴィディウスやウェルギリウスがイタリア語を話したのかと論駁することは、ヒットラーと映画の関係についてなら、ジークフリート・クラカウアーの書物でも読めば充分だなどと半畳を入れることと同様、愚かな反応だといわねばならない。それを嘲笑するかのように『JLG/自画像』の最後にオヴィディウスを“原典通り”ラテン語で朗誦する老女を登場させているのだ。

『映画史』に氾濫している多くの言説は、いま見た二つの例がそうであるように、厳密な意味での検証にはあたいしない。それらのほとんどは、反証によっても、あるいは部分的な修正によっても正当な文脈におさまるあてのない無責任な断言というに近い。にもかかわらず、それがその場で波及させる記号としての「強度」だけは否定しがたい厄介な断言なのだ。それは、時に気の利いた警句の形式におさまりそうに見えても、それを介して貴重な何かを他人に伝達することはこばんでおり、文字通り、「与えないこと」の実践であるかにみえる。だが、ここで言及されねばならない何かがあるとするなら、それは「性急」なゴダール独特の言語使用のモードの問題につきている。

実際、疑問文も、否定文も、語調緩和も、比喩表象も、婉曲話法も、間接話法も知らない「異星人」の言葉のように、すべては有無をいわせぬ断定のかたちをとってしまう。「“あたかも”ヒットラーは、ナチスの党大会の舞台装置をきわだたせるために、ムルナウを始めとするドイツの無声映画の照明を採用した“かのようだ”」といった婉曲な文章の成立を、彼は待ってはいられないからである。「イタリアのネオ・リアリスムの登場に立ち会ったものたちは、“あたかも”この国の豊かな文学的伝統が映画のかたちをとって不意によみがえった“かのような”驚きを覚えたのかもしれない」といった丁寧な文章を口にしている余裕は、彼にはないのである。

疑問の否定も婉曲も比喩も知らない「性急」な断定、そしてその単調な繰り返し。「ファシズム」と「信仰」への接近を隠そうとはしないゴダール的な言葉遣いは、幼児言語をはじめ、いくつかの類似の記号を思い起こさせる。たとえば夢という記号、イメージという記号、奇跡という記号などがそれだ。実際、夢をかたちづくる心象は、それ自体として否定形を知らぬ記号である。イメージ=映像もまた、いかなる逡巡もなく、それが表象するものを端的に肯定する。奇跡に立ち会ったものの言葉も、それを肯定し、疑問や否定のまぎれこむ余地を排除する。「異星人」JLGの言葉は、その意味で、記号としての夢やイメージや奇跡にかぎりなく近づき、推論や論証の手段となることをあらかじめ放棄しているかにみえる。『映画史』がいささかも教育的な作品たりえないのは、そうした理由による。

だが、ここでのゴダールは、真の意味で反=教育的な存在たろうとしているのだろうか。ここでやや気になるのは、「ありえたかも知れない映画史」という言葉をのぞいてほとんどが直接的な断定の形式におさまっている『映画史』の記号の中で、数少ない例外として姿を見せている条件法の構文のことだ。それは、ほかでもない、多くの物議をかもしもしたあの「1A」で語られている「もしジョージ・スティーヴンスが最初に、初めての16ミリ・カラーフィルムをアウシュヴィッツとラーヴェンスブリュックで使っていなかったとしたら、たぶん決して、エリザベス・テイラーは陽の当たる場所を見いだしていなかっただろう」という文章である。

そこでいわれていることがはたして正当か否かを論じることに、すでに指摘しておいた理由によってほとんど意味がない。問題は、「異星人」JLGに、なぜ、この長い条件法構文を完結した命題として維持しようとする時間の余裕があったのかということだ。なぜ、短い単語による肯定ではなく、「仮に……ではなかったとするなら……」という否定形の仮説で始まり、同じく「……そうなりはしなかったろう」という否定形の条件法で結ばれる長い文章がここに登場するのだろうか。彼の「性急」さは、それとどのような折り合いをつけるのだろうか。

もちろん、ここにもゴダールの「性急」さが顔をのぞかせているという解釈は充分になりたつ。実際、一度に多くのことをいおうとして(性と死、光と影、強制収容所とハリウッド、スターと匿名の存在、エリザベス・テイラーとジョージ・スティーヴンス、記録とフィクション、キャメラとその被写体、表象とその限界、男性と女性、カラーとモノクローム、等々)、それに関わりのあるすべての要素(たとえば、『陽の当たる場所』でエリザベス・テイラーを主演に迎えてアカデミー監督賞を受賞したジョージ・スティーヴンスは、30年代からすでにハリウッドで活躍していたが、第二次世界大戦中にはアメリカ軍の映画班に所属し、ヨーロッパ戦線でキャメラをまわし……等々)を思い切り凝縮し、可能なかぎり短い一つの文章にしようとした結果、こうした複文が成立してしまったというのがその解釈である。

いま一つの解釈は、ここでのゴダールがいつになく教育的であることが、いつもの思い切りのよい時空を超えた断定的な併置(たとえば「2B」に見られる「エイゼンシュテインの、拷問にかけられたいくつもの身体」と「ヴェザリウスの最初の人体標本」、あるいは「ミルクのグラスを見つめるジョーン・フォンテインの名高い眼差し」と「パストゥールの犬」、等々)の力学を鈍らせたのではないかというものだ。誰もが当然知っておくべきでありながら、あまり言及されることのない歴史的な事実をとりあげ、それに人目を惹く固有名詞をまぎれこませ、そこに時間的な前後関係をも見失わないための配慮を施しつつ一貫した情報に仕立て上げ、それを広く流通させようという彼らしからぬ教育的な善意がまず存在していた。だが、その善意は、過去の事実の反対の仮定といった事態にはあまり慣れてはいない「異星人」JLGの思考の中で空転し、その結果、構文としては形式が整っていながら、論理的な脈絡には飛躍のある言説が生まれてしまったのではないかという解釈である。

いずれにせよ、見落としてならないのは、この否定形におかれた条件文が、「性急」さの擁護と顕揚としてある『映画史』に、やや異質な色調をしのびこませているという点である。かりにそれが正確さを欠いているにせよ、ハワード・ヒューズを「『市民ケーン』のプロデューサーにして、トランスワールド航空(TWA)のオーナー」と大胆にいい切ることのほうがはるかにゴダール的であるはずだ。それに似たいつもの無責任な断言であるかに見えて、「A」でなかったとしたら、「B」という結果は生まれ落ちなかったかもしれないとする論理的な脈絡の存在が、あっけらかんとしたいつもの併置(「A」も「Z」も)にはそぐわない念入りな身振りを素描させているからである。

その結果として、二つの事態が生起する。一つは、「貸借関係」をゼロにしようとする「決算」の姿勢の鈍化である。いま一つは、無償の「贈与」への無自覚な執着である。事実、ここでのゴダールは、かぎりなく「教育」に接近しているかにみえる。にもかかわらず、ゴダール的と呼ぶほかない逆転がここで起こっていることに注目せねばならない。たった一度しか口にされていないにもかかわらず、たとえば「ジョーン・フォンテインの眼差し」と「パストゥールの犬」というぶっきらぼうな断定的併置よりも、「アウシュヴィッツ」と「エリザベス・テイラー」の例外的なまでに念入りな論理的文脈の設定のほうが、ある種の「スキャンダル」として、人びとの感性を強く刺激することになるからである。 こうした刺激とも好んで戯れる「異星人」JLGを、ジャーナリスティックなゴダールと呼ぼう。この種のジャーナリスティックな発言は、『映画史』が対象とすべき映画に向けてはおらず、したがって、彼自身の「決算」とも無関係でありながら、マスメディア向けのコマーシャルとしてはきわめて有効な記号なのである。

では、なぜ、『映画史』に、それも冒頭部分からジャーナリスティックなコマーシャルをすべりこませるのか。理由はあっけないほど単純なものだ。スティーヴン・スピルバーグに対抗するためである。ゴダール対スピルバーグ。実際、映画作家ゴダールは、シンボルとしてのスピルバーグを無視することのできない数少ない「異星人」なのである。『映画史』にも『愛の世紀』にもスピルバーグの名前はいささか否定的なかたちで登場しているが、それを間違っても揶揄の対象としてとらえてはならない。スピルバーグが『E.T.』を撮ってしまった瞬間、真の『E.T.』を撮るべき監督は自分をおいていないはずだとゴダールは確信したのであリ、その確信はいまにいたるも揺らいではいない。

モーツァルトのメロディーに耳を傾け、マネの絵画に親しみ、フローベールの長編小説に読みふけり、なお多くの映画にも興味をしめしつづけるというだけではとらえそこねる『映画史』に重要な側面があるとするなら、それはこの作品においてスティーヴン・スピルバーグがしめるべき位置の曖昧さである。自分よりあとに登場した世代の監督たちに真摯な興味をしめしたためしのないゴダールが、『映画史』においても、それ以外の場においても、間接的にではあれ『E.T.』の作者に何度も言及している点に、人はいま少し敏感でなければならない。だが、そのことに多少なりとも自覚的な論者が、ゴダールのスピルバーグに対する寛容さを許しがたいと批判するランズマンの『ショアー』擁護派の見当違いな立論にかぎられているという構図の単調さには、いささかげんなりしないでもない(4)。

スピルバーグに対抗してとまではいえぬとしても、『映画史』は、『E.T』の作者への複雑な心的屈折なしには成立しない作品なのだ。ゴダールは、『未知との遭遇』にフランソワ・トリュフォーを登場させたこのアメリカの映画作家を、いまだ「決算」しえずにいるのである。その「貸借関係」は、いまなおゼロになってはいない。「貸し」はあっても「借り」はないとさえ断言しかねているのである。その意味で、『映画史』は、この「異星人」にとって、ある種の「未完」の作品だと見なしうるかも知れない。

「異星人」JLGは、いま、「抗いがたい衰退への道を、毎日一歩ずつ下って行く国」で亡命生活を送っている。その亡命の地で『映画史』を撮ることによって、彼は、その生来の人騒がせな性癖である「間に合わないこと」、「待てないこと」、「与えないこと」をどう処理しえたというのだろうか。ゴダールは、なおも遅刻しつづけるのだろうか。思いもかけぬ「性急」さ、をなおも発揮するのだろうか。すべてを自分一代で「決算」しきったといえるのだろうか。

わたくしたちは、覚悟を決めている。夢でとおりすぎた楽園で一輪の花を受け取り、目覚めてもなおその花を手にしていたという男が、ジャン=リュック・ゴダールその人だったという『映画史』の最後の言葉など、いささかも信じはしまいということを。「私が、その男だった」というその「私」が誰であるかなど、「異星人」JLGが識別しうるはずもないからだ。ゴダールは、自分自身のうちにさえ後継者を持たぬまま、なおも「孤独」である。

 

(1) Jean-Luc Douin, Jean-Luc Godard, Rivages/Cinéma, Edition augmentée, 1994のBernard Bouixの証言による。36頁参照。
(2) Jean-Luc Godard, Histoire(s) du Cinéma, Festival International du Cinéma Locarno, 1995(ロカルノ映画祭による私家版『映画史』)にその形跡が見える。109頁参照。
(3) Jacques Rancière, 'Une fable sans morale:Godard, le cinéma, les histoires' in La Fable cinématographiques, Editions du Seuil, 2001(堀潤之訳「教訓なき寓話」、『批評空間』IV―3、2002年)を参照。
(4) Gérard Wajcman,'《Saint Paul》Godard contre《moïse》Lanzmann, le match,'L'infini, no. 65, 1998. ジェラール・ヴァイクマン「《聖パウロ》ゴダール対《モーゼ》ランズマンの試合」(堀潤之訳、四方田+堀編『ゴダール・映像・歴史』産業図書、2001年所収)参照。

なお、執筆にあたっては、『ゴダール 映画史 テクスト』(愛育社、2000年)所収の「テクスト採録」(堀潤之、橋本一径)を参照した。

 

初出:『ユリイカ』(青土社、2002年5月号「特集=ゴダールの世紀」)

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