『フォーエヴァー・モーツアルト』を観るために

浅田彰

1980年代末からのゴダールは、20世紀をしめくくるモニュメントとも言うべき『映画史』(88ー98)を軸に制作活動を続けてきた。その副産物と言ってよい一連の作品群の中でも、『新ドイツ零年』(91)と『JLG/自画像』(93ー94)は誰の目にも突出して映るだろう。物語らしきものはもはや崩壊し、エッセー(そう、「試み」という本来の意味でのエッセー)の形をとって映像と音の断片が次々に投げ出されるばかりだ。そのおそるべき密度ゆえに、しかし、それぞれほんの1時間ほどのエッセー・フィルムはいかなる長篇物語映画よりも強烈な感動で観る者を圧倒するのである。

ということは、ゴダールはもはや物語映画を撮ることができなくなったということなのだろうか――彼自身『決別』(92-93)で示唆していたように。たしかに、物語を――でなくとも物語を語ることの不可能性を語ろうとするゴダールの物語映画が、いよいよ苦渋に満ちて見えるようになったことは、否定できないだろう。『フォーエヴァー・モーツアルト』(96)を最初に見たときの私の印象も、実はそのようなものだった。ゴダールが見事なエッセー・フィルムの後で撮ったこの物語映画は、ふたつ以上の物語を合体させた盛り沢山なもので、数々の忘れがたいシーンを含みながら、結局さまざまな要素を散乱させただけで終わってしまうように感じられたのである。

はっきり認めよう。私は完全に間違っていた。何度か観直すにつれ、私にもこの映画が紛れもない傑作だということがわかってきたのだ。とにかく、大勢の人物が次々に登場し、同時に早口で喋り散らしては、また別の人物に取って代わられるという映画なので、私の貧しいパターン認識能力と言語能力では最初ついていけなかっただけのことなのである。細かいところまで見えてくると、そこには一応筋の通った人間関係があり、それを基にしていくつかの物語が無駄なくスピーディに(あまりにスピーディに?)語られていることがわかるだろう。ゴダールはもはや物語の不可能性をめぐるメランコリックな瞑想に耽っているだけではない。ここではむしろ、複数の物語がおそろしい勢いで進行してゆき、物語の枠を突き抜けてしまうのだ。ヴァカンスの前後が一瞬でつながり、昼は夜に、夜は朝に、あっという間に変わってゆく。そのなかで、人々はわれがちに喋り、競い合うように席を立ち、旅し闘争し愛し死ぬ。疾走する混沌とも言うべきこの映画に匹敵するものと言えば――そう、それこそモーツアルトのオペラぐらいのものではないか。無類のドラマティストでもあったこの作曲家のオペラは、同じ重唱の中で複数の人物にそれぞれ異なる思いを歌わせながら(当然、聴き取れない部分が多いものの、そんなことはお構いなしだ)、どこまでも明るく軽やかに疾走してゆく――主人公の地獄堕ちに終わる『ドン・ジョヴァンニ』(「悲劇」ではなく「ドラマ・ジョコーソ」とされている)でさえ。その疾走をさらに加速したのが『フォーエヴァー・モーツアルト』だとも言えるのではないか。そして、われわれはモーツアルトのオペラを何度も観て楽しむように、『フォーエヴァー・モーツアルト』を何度も観てそのつど新たな発見と感動を体験するのである。

むろん、これは私の勝手な解釈であって、なぜモーツアルトなのか、本当のところはわからない。「なぜ」と問えば、ゴダールはたんに「なぜいけないのか」と答えるだろう。1991年、統一後のドイツを亡霊のごとく歩む『新ドイツ零年』の老スパイは「だしぬけに」その年がモーツアルトの没後200周年だと思い出す。そして、ゴダールはだしぬけに自らの新作を『フォーエヴァー・モーツアルト』と名づけることに決める。それだけのことと言えばそれだけのことだ。そもそも、この映画の冒頭、『フォーエヴァー・モーツアルト』というタイトルが映し出された瞬間に大音量で鳴り渡るのは、こともあろうにベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の冒頭ではないか(それが直ちにズタズタに切断されるあたりは『パッション』冒頭でのラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』の扱いを彷彿させる)。そこから、一方では老監督の映画の旅が始まり、それに挟まるように若者たちの演劇の旅が展開されるのだが、それらはどちらもモーツアルトとは何の関係もない。そして、すべてが終わったあと、われわれはまたしてもだしぬけに音楽会に招き入れられ、モーツアルト本人らしきピアニストの弾くピアノ協奏曲第27番を聴くのだ。こうして、ベートーヴェンの最後のピアノ協奏曲で始まるこの映画は、モーツアルトの最後のピアノ協奏曲で終わることになるだろう――最後のクレジットの背後で流れるケティル・ビョルンスタの『海』の第7曲(このアルバムの第12曲はそれまでにも海辺のシーンなどで繰り返し流れる)を除けば。その両端の間で、しかし、この映画の物語は、モーツアルト的と言うほかない目くるめく速度をもって展開されるのである。

その物語を把握するために、基本的な情報をまとめた簡単なメモを準備しておこう。もとより決して網羅的なものではないが、まずは先入見なしに映画そのものに向き合いたいという読者もいるだろうから、そういう読者には以下のセクションは映画を観た後で読んでいただきたい。

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『フォーエヴァー・モーツアルト』は、1:演劇、2:戦争/演劇、3:映画、4:音楽という構成をもつ。それにそって、いくつかの参照事項を挙げていこう。

1:演劇
冒頭、マルローの『希望(Espoir)』(1936年スペイン内戦に馳せ参じたマルローが翌年に出版し、翌々年には映画化もした作品)を作家ハリーが翻案したらしい『希求(Espérance)』という芝居のオーディション会場に、演出を頼まれたらしい映画監督ヴィッキーがいて、ダメだしを続けている。『宿命のボレロ』という映画をヴィッキーに監督させたがっているフェリックス男爵が、彼に会いにやってくる。

フェリックス男爵の求める『宿命のボレロ』というのは、「女が最後に竜巻の中で死ぬような映画」でしかない。ヴィッキーはそれを引き受けるのを渋る(引き受けた後もなかなか撮りたがらず、4部の撮影現場では、シナリオの戦争シーンを破り捨てたりするありさまだ。ちなみに、戦争シーンは121頁からとなっているが、これは、『JLG/自画像』で引用されるウィトゲンシュタインの『確実性の問題』の121節同様、アルジェリア独立闘争の際の「121人宣言」への目配せである)。

ただ、ヴィッキー自身、「1990年代は30年代の悪しき反復に過ぎないのではないか――ラヴェルのボレロのような(大意)」(『サラエヴォ・ノート』みすず書房、p.94)というゴイティソーロの言葉を引用しており(とくに30年代の象徴としてのスペイン市民戦争を重視していることは、冒頭のマルローや中盤のヘミングウェイの参照からも明らかだ)、そういう意味での「宿命のボレロ」を考えているように思われる(ちなみに、冒頭、ハリーは書店でジュネの『恋する虜』[かつてゴダールも訪れたパレスチナを舞台とする遺作]を手に取るが、ジュネは同性愛文学者かつ政治的文学者のモデルとしてゴイティソーロに決定的な影響を与えている)。

とはいえ、ゴダールは、歴史の悪循環を、いわばヴァーグナー的な悲劇の反復/反復の悲劇(『指環』)としてではなく、ニーチェ的な「永劫回帰」としてとらえ、ニーチェ/ビゼー的なオペラ──というより、まさにモーツアルト的なオペラ・ブッファとして上演しようとしているように思われる。先に述べたとおり、重唱で複数の台詞を同時に歌わせながら、ロンドのごとく輪舞に輪舞を重ね、抑えがたい速度で疾走してゆく、あれらのオペラのような形で。

2:戦争/演劇
だが、ここから映画製作の物語がすぐに展開するわけではない。戦争と演劇の物語が間に割って入るのだ。

1993年、スーザン・ソンタグがサラエヴォでベケットの『ゴドーを待ちながら』を上演した(「サラエヴォでゴドーを待ちながら」『この時代に想う テロへの眼差し』[NTT出版]に詳しい)。翌1994年、フィリップ・ソレルスが『ル・モンド』書評欄にプレイヤード版マリヴォー戯曲全集第II巻の書評('Marivaux profond', "La guerre du goùt", Gallimard, p.518-522)を寄せ、「戦争と冷戦の後のベルリンで見るべきものはシャルロッテンブルグ宮のワトーだけだ。それはマリヴォーの言葉を話している。[……]ヨーロッパの悲劇的歴史は彼ら(18世紀人)に指一本触れていない。[……]アメリカの女性作家はサラエヴォで『ゴドーを待ちながら』を上演するのがいいと考えたが、サラエヴォで上演すべきは(マリヴォーの)『愛の勝利』(ゴダールの引く『愛と偶然の戯れ』ではなく)なのだ(大意)」と書いた(この書評欄は映画の中にそのまま登場し、そこにフィーチャーされたワトーの「アルルカン、ピエロとスカパン」[厳密にはシャルロッテンブルグ宮の所蔵作品ではない]は映画の最後にも映る)。それを読んでゴダールの行った地元ロールの書店にはマリヴォーはなくミュッセがあった。そこで、ヴィッキーの娘カミーユと甥ジェロームを中心とする若者たちがサラエヴォで演劇を上演しようとし、演目としてマリヴォーの『愛と偶然の戯れ』を考えていたが結局ミュッセの『戯れに恋はすまじ』を選ぶ、というストーリーが浮かんだ(ミュッセは、マリヴォーのような、あるいはモーツアルトの台本を書いたボーマルシェやダ・ポンテのような18世紀人ではなく、19世紀人ではあるが、ゴダールはそんなことにはこだわらない)。

ミュッセの『戯れに恋はすまじ』では、「男爵」のもとに息子の「ペルディカン」(パリ大学で哲学を修めてきた)とその従妹の「カミーユ」(修道院で躾られてきた)が戻ってくるが、素直に結婚すればいいものを、「カミーユ」の乳姉妹の田舎娘「ロゼット」を引き込んだ恋のゲームを繰り広げたあげく、最後に「ロゼット」の死を招いてしまう。映画の中で、若者たちはサラエヴォでこの戯曲を上演するところまではいかないものの、途中、ジェロームが「ペルディカン」、カミーユ(今度はこちらが哲学教師)が「カミーユ」、ジャミラ(ジェロームの家で女中として働いていたモスレムの女性)が「ロゼット」を事実上演じることになり、実際ミュッセの台詞がさまざまなところで使われる。ただし、原作とは違って、最後はジェロームとカミーユが死に、ジャミラが逃げのびることになる。

実のところ、ヴィッキーも初めはこの旅に参加するのだが、途中で脱落することになる。同行を求められたヴィッキーは、「提案」として「ヘミングウェイの家」に言及し、ザルツブルグの作家トーマス・ベルンハルトにそこに招かれたことがあるかのようなことを言う。そこで落ち合うという「提案」だろうか。(いずれにせよ、わずか一言二言の中にも膨大な含みがある例として、ヘミングウェイのことに触れておこう。1914年にサラエヴォの銃声から第1次世界大戦がはじまり、1918年にヘミングウェイが救急車運転手として参戦するが、ヴェネツィア東方のピアーヴェ河岸でオーストリア軍の追撃砲と機関銃の銃撃を受けて負傷し、病院で看護婦と恋に落ちる。それをもとに『武器よさらば』が書かれた。そこでは、主人公のヘンリー中尉が負傷する場面は、現在のイタリア/スロヴェニア国境であるインツォ川に変更されている。なお、イタリア側の最後の都市がトリエステである。その後、1937年にヘミングウェイはスペイン内戦に参加し、映画『スペインの大地』の製作に参加する。マルローと通ずるエピソードである。さらに、1948年にヘミングウェイは負傷現場を再訪するが、このイタリア旅行で某男爵に招かれて狩に行ったとき若い女性と恋に落ちる。それをもとに『河を渡って木立ちの中へ』[Across the River, and into the Trees]が書かれた。「ヘミングウェイの家」「Across the River, and into the Trees」というたった二言からこうした文脈を想起させつつ、考える暇も与えずに物語をどんどん前進させてゆくというのが、ゴダールの手法なのだ)。ともあれ、ヴィッキーの「畜生、前進だ!」という言葉とともに旅が始まる。ゴダールがコーン=ベンディットの引用として1995年のアドルノ賞受賞講演(『批評空間』IIー12)の末尾に置いた言葉である。疾走する列車の通路、とくに夜のシーンの素晴らしさ。「ザルツブルグ、次はトリエステ」というような車掌のアナウンスが聞こえる。そして今度は水辺(トリエステ辺り?)のキャンプでのやりとり。しかし、やがて若者たちについていけなくなったヴィッキーは、『新ドイツ零年』の老スパイよろしくトラックに便乗して西方に去るだろう。

それでもなおサラエヴォに向かって前進を続ける若者たち。だが彼らはセルビアの民兵と思われる武装集団──スペイン内戦に馳せ参じた左翼の「国際旅団」ならぬ「国際盗賊団」に捕らえられる。ボスのマドリッチ(Madlic)というのは、カラジッチ(ミロシェヴィッチと並ぶ実力者だった)の手下のムラディッチ(Mladic)のアナグラムだろう。「Welcome to the cruel world, Hope you find your way」というベン・ハーパーの歌声が流れ出したかと思うと、カミーユの聞いていたそのラジカセが民兵に奪い取られるあたりの、取りつくしまもないスピード。子どもたちのことを心配したヴィッキーの姉妹シルヴィ(ジェロームの母)は、ヴィッキーとハリー、ハリーの愛人サラとその叔父ポールという関係をたどって国防相の職にあるポールに直訴するが、それも空しい。若者たちはジャミラを除いて残酷な運命に直面することになるだろう。

3:映画
他方、若者たちと別れたヴィッキーは、海辺の現場で撮影に入る。そこにはさまざまな人間が現われる。

プロデューサー側にいるのは、プロデューサーのフェリックス男爵、男爵の腹心ボカ(ボカノウスキ)、男爵の秘書/愛人サビーヌ、プロデューサー補と思しきリュドヴィク(彼とサビーヌが映画の最初に出てくる)らだ。カネとセックスと死の、絵に描いたような結びつき。男爵はカジノで賭け、サビーヌはポルノの書き取りをしている。現金を受け取りに来たリュドヴィクは、男爵が出してくれないので、老女がスロット・マシーンであてたカネを持ち逃げし、ボカは老女と一緒に「泥棒!」と叫ぶ。その後、リュドヴィクは「安上がりの出演者」として、死体の散乱する廃墟からまだ息のある男女を調達してくるだろう。撮影現場とサラエヴォの間にとつぜん短絡が生じたかのようだ。浜に横たわる男女の裸体にカラフルな衣装がかけられるシーンは、ジェローム/「ペルディカン」とクロード/「クロード」の不可解な結婚(いわばピナ・バウシュ的に演出された)のようでもある。他方、撮影シーンでの女優はジャミラ(/「ロゼット」)と対応する。

ディレクター側にいるのは、監督ヴィッキーと助監督グザヴィエ、撮影監督ボリス・カウフマンと助手/娘セシル、男性アシスタント(ドミニクら)や女性アシスタントたちだ。凄絶な美しさを帯びた浜辺でのシーンで、強風の吹き荒ぶ中、女優の「ウィ」という一言を撮るのに、監督はえんえんとダメ出しを続ける――テイク608にいたるまで。まさしく宿命的=致命的な反復。その間にスタッフもどんどん現場を去って行く。最後、ヴィッキーは自分ひとりでキャメラを回し、浜を走って倒れる女優とそれを追って慰める女性アシスタントのふたりを――女性アシスタントに慰められた女優の「ウィ」という一言を撮って、「カット! OK!」となる。「ウィ」という肯定の一言にまで圧縮された映画――それがヴィッキーの作品なのだ。その後、雪の浜をヴィッキーがひとり歩くあまりにも美しいシーンで映画撮影のパートは終わる。この一連のシークエンスは、そこで引用されるマノエル・ド・オリヴェイラの言葉の通り、この映画の中で、そしておそらくゴダールのすべてのフィルムの中で、もっとも「壮麗」なもののひとつと言ってよい。「私が映画一般で好きなのは、説明不在の光を浴びる壮麗な徴たちの飽和だ……」。

しかし、これで終わらないのがゴダールのゴダールらしいところである。せっかく撮影されたフィルムはボカとサビーヌが持ち逃げし、男爵はネガから起こしたコピーを上映しようとするが、散々な不評に終わる。映画製作の物語はこの絶望的なドタバタ喜劇をもって結ばれるだろう。

4:音楽
そして、だしぬけに音楽会が始まる。会場に集まってくるハリーやヴィッキーたち。撮影助手だったセシルがクローク係を務めている。そして、モーツアルトその人を思わせるピアニストは、なぜか、撮影アシスタントだったドミニクを呼んで譜めくりをさせるだろう。青少年オーケストラの稚拙な伴奏にのって、それでも天上的な美しさを湛えたピアノ協奏曲第27番第2楽章の音楽が流れ出す。それはほんの少しで断ち切られるが、音楽が途絶えた後、沈黙の中で第3楽章の天馬空を征くが如きアルペジオを記した楽譜をめくる音だけが聞こえるところは、素晴らしいとしか言いようがない。このようにして『フォーエヴァー・モーツアルト』は終わる。どう見てもとってつけたような、しかし、文句なしに美しい終幕である。

     *

繰り返すが、ゴダールの映画が素晴らしいのは、こういうさまざまなリファレンスを踏まえているからではなく、それらを惜し気もなく撒き散らしながら物語を暴走させ、背後にある意味などもうどうでもいいと思わせるところまで突き抜けてしまうからである。以上のようなメモは、急速な物語の進行を把握するためのとりあえずのヒントに過ぎず、いったん忘れてから画面に向かうのが望ましい。おそらく、最初は訳の分からないところも多いだろう。それでも何度か観直すうち、この映画は紛れもない傑作として立ち現われてくるはずだ。

それにしても、何というエネルギーだろう――物語の不可能性に関する省察をあそこまで突き詰めた後、満身創痍になりながらもなお全力で疾走する物語映画を撮り上げてしまうとは。むろん、それが終わりではない。ゴダールは『フォーエヴァー・モーツアルト』から5年を経て、もうひとつの物語映画『愛の世紀(原題:愛の賛歌)』(2001)を撮っている。実のところ、この2本には共通点が多い。『愛の世紀』の主人公は、人生の3つの段階(若者、大人、老人)において愛の4つの段階(出会い、肉体的情熱、別れ、和解)を描く作品(演劇? オペラ? 映画?)をつくろうとしており、オーディションから金策にいたるおなじみのテーマが出てくる。しかも、『フォーエヴァー・モーツアルト』でスペイン市民戦争とボスニア紛争が取上げられていたとすれば、『愛の世紀』ではフランスの対独抵抗運動(レジスタンス)とコソヴォ紛争が取上げられ、やはりそれらを表象することをめぐる困難が大きなテーマとなる。しかし、両者のトーンはずいぶん違う。『フォーエヴァー・モーツアルト』が物語の不可能性を突っ切るようにやけくそで疾走するのに対し、『愛の世紀』ではメランコリックな停滞感が支配的になり、そのせいか、『映画史』でも再三語られてきたいささか観念的なテーマが物語の中でうまく消化されているとは言い難い。前半のモノクロームの画面――とくにパリの夜景やスガン島をのぞむショットは実に美しいものの、後半、ブルターニュにかつてのレジスタンスの闘士夫妻を訪ねた2年前の記憶を、あえて色を変調させたヴィデオで映像化しているところは、どうみても成功していない。失敗作?いや、『フォーエヴァー・モーツアルト』の教訓からいっても、即断は禁物だ。繰り返して観るうち、『愛の世紀』もまたその素晴らしさを私に明かしてくれるかもしれないのだから。

いずれにせよ、『映画史』という大全(スンマ)で、またいくつかのエッセー・フィルムで、映画という表象システムの抱える困難を徹底的に追求してみせたゴダール、あの戦慄的な『JLG/自画像』では自らをほとんど亡霊として描いてみせたそのゴダールが、しかもなお『フォーエヴァー・モーツアルト』や『愛の世紀』のような刺々しくも瑞々しい物語映画を撮り続けているというのは、それだけでも驚嘆に値するだろう。フォーエヴァー・ゴダール?

もちろん、そうは言わない。だが、70歳を超えたゴダールが、そのうちまた新たな作品をもってわれわれの前に現われてくることは、おそらく間違いないだろう。それまでに、われわれは彼のさまざまな作品を――とくに『フォーエヴァー・モーツアルト』を、何度も繰り返し観ることになるだろうと思う。

付記:これは『キネマ旬報』2002年5月上旬号のゴダール特集と劇場プログラム『「フォーエヴァー・モーツアルト」/「JLG/自画像」』に掲載されたエッセーの加筆修正版である。

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