北野武、または「神出鬼没」の孤児

蓮實重彦

唐突

アメリカのスタンダップ・コメディーによく似た漫才の人気コンビを解消し、『その男、凶暴につき(Violent Cop)』(1989)でいきなり映画作家としてデビューしてみせた北野武は、『底抜けてんやわんや(The Bellboy)』(1960)を監督として完成させたジェリー・ルイスの場合とほぼ同じ唐突さでわれわれを魅了した。それは、クリント・イーストウッドの第一回監督作品『恐怖のメロディー(Play Misty for Me)』(1971) のもたらした唐突さの魅力にもどこかしら通じるものがあった。誰もが、これは一度だけの贅沢なお遊びだと高を括っていたにもかかわらず、彼らは揺るぎない映画作家として注目すべき作品を撮りつづけたのである。北野武をその第一回監督作品から評価するか否かは、だから、クリント・イーストウッドやジェリー・ルイスの場合と同様、優れて映画的な試練となる。実際、映画とは何かという本質を経由することなく、これは映画であるという生々しい現実だけが、彼らのフィルムをぶっきらぼうに躍動させている。

北野武が自分自身をみずからの活劇に登場させるとき、彼はクリント・イーストウッドのように、自分の肉体にしたたかな傷をおわせてみせる。かと思うと、彼自身をみずからの喜劇に登場させるとき、彼は、ジェリー・ルイスのように(おそらくウッディ・アレンにもまして)、自分の精神分析的な外傷をあばいてみせたりもする。肉体の、あるいは精神の傷と好んで戯れる北野武は、一作ごとに、自分自身の無意識が恐ろしいとつぶやいているかにみえる。

『Kids Return』をみると、彼自身の過ごした青春は、例えば、1980年代の侯孝賢の映画に描かれたように、喧嘩に明け暮れていたのではないかとつい想像したくなる。しかし、日本の首都の比較的名高い大学の工学部の入学試験にあっさり合格してしまうほど、彼は知的には安定した環境の中で生活を送っていたのである。たしかに、彼は、『Kids Return』に登場する不運な少年のようにタクシーの運転手をしていたこともあり、客を乗せての運転中に三島由紀夫の自殺をラジオで知り衝撃を受ける。だが、それは売れないコメディアンとしての少ない収入を補填するためで、必ずしも家計を支えるための職業ではなかった。いずれにせよ、彼自身の過去は、映画作家としての彼のキャリアとは無関係だと考えておいたほうがよい。

監督として注目を集め始めたとき、北野武は、あたかもジャン=リュック・ゴダールを模倣するかのようにバイクの事故で重傷を負い、再起不能をささやかれたこともある。ところが監督に復帰したとたんに、かつて黒澤明が受賞したヴェネチアの金獅子賞を獲得し、彼をテレビ芸人ビートたけしとしてしか知らずにいた多くの日本人を混乱に陥れた。さらに、処女作から十年しかたっていないのに、彼は、大島渚のようにイギリスの製作者ジェレミー・トーマスと組み、合衆国ロケによる英語作品を撮りあげることになる。これは、最盛期の黒澤明でさえ実現しえなった夢である。マラソンを短距離レースのリズムでかけ抜けるかのような危うさが北野武にまといついているのは、そうした理由による。北野武は、ジャン=ピエール・リモザンが彼に捧げたドキュメンタリー『kitano Takeshi l'Inprevisible』(1980)の日本語の題名通り、あくまで「神出鬼没」なのである。

突然変異

『その男、凶暴につき』(1989)から最新作の『Brother』(2000)にいたるまでの北野武の8本の作品は、勿論、ここに名前を挙げた映画作家の作品とはいかなる意味でも似ていない。われわれは、いうまでもなく、誰にも似ていない映画作家の思いもかけぬ登場にうれしい驚きを覚えたのである。その喜びには、しかし、ある種の戸惑いに通じるものがあったといわねばならない。

例えば、彼とほぼ同世代ベルナルド・ベルトルッチやヴィム・ヴェンダースなら、映画作家となるにあたり、どのような映画を見たことが決定的だったのかをある程度まで想像することができる。ニューヨークのインディペンデント作家ジム・ジャームッシュの場合でさえ、その系譜をたどることはまったく不可能ではない。ところが、北野武の場合、彼がどんな映画に強く惹かれたのかを知ることは、ほとんど不可能となる。例えば、『8 1/2』のフェリーニには大いに共感するが、しかし、映画監督の役を演じるマルチェロ・マストロヤンニのかたわらに、その演技を指導するフェリーニ自身を画面に登場させなかったことがこの映画の最大の弱点だと彼はいいはなつ。このように、過去の作品に対してきわめて醒めた視線をもつ北野武は、父親や叔父や兄貴に相当する映画作家を一人も持たない過酷なまでに孤独な存在であり、その限りにおいて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の伝統につらなるものではない。勿論、大学教授の親しい兄を持つ彼にとって、この孤独はあくまで映画作家としての孤独にほかならない。

ビートたけし名義で出版された『仁義なき映画論』(太田出版、1991年、現在は文春文庫)の中で、彼は、黒澤明の『夢(Yume)』(1990)など第一のエピソードを見ればあとは熟睡していて充分だ、とか、マーチン・スコセッシの『グッドフェローズ(Goodfellas)』(1990)の殴る場面は悪くないが、全編がいかにも長すぎる、とか、コッポラが『ゴッドファーザーPart III(Godfather Part III)』(1990)を、マイケル・チミノが『逃亡者(Desperate Hours)』(1990)を撮らねばならぬ時代のアメリカ映画は不幸だ、とか、そんな言葉を饒舌に書きつけている。だが、かつて、彼自身がどんな作品に熱狂したかについてはきわめて禁欲的で、多くを語ろうとはしない。そのことから、突然変異の怪物にでも出くわしたかのような不気味さの印象がきわだつのである。

寡黙

ある時期まで撮影所で育つことが当然視されていた日本の映画作家のほとんどは、どの映画作家に助監督としてついたかによって、ほぼその系譜を確認することができる。例えば、松竹撮影所で小津安二郎の最も怠惰な助監督だったという経歴が、逆説的ながら、今村昌平の位置を確定しているのである。だが、ながらく映画産業を支えてきた撮影所システムは、1970年代を通じてほぼ完全に崩壊したといってよい。刺激を欠いた1980年代の日本の映画的な光景を活気づけていた新世代の映画作家といえば、柳町光男と相米慎二の二人きりだった。にもかかわらず、『火まつり』の監督がシネフィル出身で、青年時代からひたすら映画を撮ることを目指しており、撮影所システムの崩壊を好機ととらえて登場した新しいタイプの作家であることはすぐにみてとれる。また、『ションべン・ライダー』や『台風クラブ』の監督の場合は、崩壊直前の日活で短い期間ながら助監督をしていた経験があり、その系譜をたどることも全く不可能ではない。それにくらべると、係累なしの映画作家北野武の孤独はいっそうきわだつ。

よく知られているように、北野武が『その男、凶暴につき』を監督したのは、たんなる偶然にすぎない。それは、ビートたけしを主役に迎え、深作欣二が監督にあたるはずの企画だったのである。深作が個人的な理由で監督を降板したとき、北野武はすでに完成していた脚本に思う存分手を加えるという条件で、その監督を引き受けることになる。この場合、脚本に手を加えることは、成瀬巳喜男がそうであったように、無駄な台詞をことごとく排除することを意味していた。テレビドラマの脚本家として、また小説家としても有名な野沢尚(さとし)が、作品完成後に、自分の脚本が改竄されたことに強く抗議したのも当然だろう。また、「『ランボー(Rambo)』(1982)の二番煎じみたいで、右手に拳銃、左手に機関銃、そんな感じの脚本」に手を加え、アクションの質についても変更を加えることになる。やくざ映画で名高い深作欣二が得意としためまぐるしい手持ちキャメラの動きによる乱闘シーンなどは、極力排されることになるだろう。こうして、テレビのヴァラエティー番組ではもっぱらその饒舌で人気をえていた芸人ビートたけしは、映画作家となるにあたって、ひたすら寡黙であることを選択したのである。

実際、この映画で誰もが覚えているのは、「凶暴」な刑事のビートたけしが無口で歩いたり走ったりするシーンばかりだ。『鬼火(le Feu Follet)』(1963)でも使用されたエリック・サティの音楽を緩やかな歩行のリズムにふさわしく編曲するという着想は、もちろん、ルイ・マルへのいかなるオマージュをも意味してはいない。同様に、無駄な台詞の削除を北野が成瀬から学んだのでないことも明らかである。それは、意識的な方法というより、ほとんど無意識の選択というに近い。その無意識に賭けること。それが北野武の唯一の方法的な身振りであり、その無意識が機能している限り、彼は映画を撮り続けることになるだろう。

海辺

例えば、ひとりの刑事が、長らく入院していた妹を病院に迎えにゆく場面をどう撮るか。すでに何度か「凶暴」さを発揮して警察署長をてこずらせていた『その男、凶暴につき』の刑事は、同僚との会話で妹の全快が近いことをさりげなく予告している。だが、北野武は、兄と妹との再会の瞬間にキャメラを向けたりはしない。彼は、精神を病んでいたらしい彼女が病院から去る光景を、細くて暗い廊下に設定する。主治医らしい男に先立たれて、兄と妹は、無言のまま、回廊風の廊下を進んでくる。

正面からとらえられた歩調は早くもなく遅くもなく、むしろ単調なリズムだといってよい。比較的低い位置に置かれたキャメラは、かなりの距離から三人の男女を暗がりに浮き上がらせ、無愛想な表情のビートたけしの律儀な歩行ぶりを正面から見据える。そのとき、主治医の左側をうつむき加減で進んでくる若い女性が妹であることを、人はかろうじて理解する。人混みにまぎれれば誰ともみわけがつかぬほど、彼女の表情は地味でとりとめがない。

直角に曲がっている廊下を右にまがり、同じ歩調で遠ざかってゆく彼らの後ろ姿を、キャメラはしばしとらえ続けている。ややあって、低い主旋律の緩やかな高まりとともに戸外に位置を変えたキャメラは、窓越しに三人の無言の歩行ぶりを横移動で追う。だが、われわれにとって見慣れた顔はビートたけしのそれだけなので、彼の無愛想な歩調の進め方を見て、思わず犯人護送の光景かと勘違いしそうになる。再び、長い廊下の正面からの固定ショット。斜めからの陽光が人物の表情をきわだたせてはいるが、そこにいかなる変化もみられない。彼らがキャメラに近づいたところでショットが代わり、玄関の階段を降りてキャメラから遠ざかる三人の後ろ姿が逆光で視界に浮き上がる。その瞬間、黒々とした人影の向こうに拡がる海の青さを目にして、人は、北野武の無意識にとって、妹の退院が海への歩み以外の何ものでもなかったことを理解する。彼らは、海のみえる空間へと単調に歩みつづけていたのである。

主治医と刑事との別れの言葉はごく素っ気ない。待たせておいたタクシーの中で、妹は沿道の祭りの光景を目にする。妹につきあい、神社の境内を散策する刑事。屋台で売られている風車の赤さが、午後の光にまぶしい。そして夕暮れの海。風車を手に、日の陰った大海原を見やっている妹を促して、刑事は決定的な言葉を口にする。「帰ろう」。だが、彼は、そして彼と妹は、帰るべき場所を持っているのだろうか。

異性

海が北野武にとって真の救いの場所でないことは、その後の作品が示している通りである。『あの夏、いちばん静かな海』の聾唖の青年サーファーを無造作にのみこんだことからもわかるように、海そのものの不吉さを北野武は熟知している。実際、『HANA-BI』(1998)の全身不随の同僚の車椅子の車輪を砕けた波が濡らす短いショットには、ヒッチコックのようなサスペンスがよぎる。水は、北野武の世界では、まぎれもなく危険な環境なのである。だから、『菊次郎の夏』(1999)での北野武は、ビートたけしをプールで溺れさせてみさえするだろう。

にもかかわらず、彼がくりかえし水際の砂浜にキャメラをすえずにはいられないのは、彼の登場人物たちが惹きよせられるように足を止めるその宙吊りにされた遊技の場で、事故として死が準備されるからにほかならない。実際、『3-4X10月』(1990)の海辺での即席の野球から、『ソナチネ』における紙相撲の模倣、そして唐突なロシアン・ルーレットや花火をへて、『HANA-BI』のラスト・シーンの空を舞わない凧揚げ、『Brother』の散策とフリスビーにいたるまで、ほとんど悲劇と境を接した透明な明るさがそこには漂っている。『その男、凶暴につき』の妹の退院の場面は、危険な手招きを送る海の主題をあらかじめ描いていたのだといえる。北野武は「浜辺のコンプレックス」ともいうべきものにとらえられた映画作家なのである。海が何ものをも救わないばかりか、むしろ存在の危機を露呈させているはずなのに、彼は海への歩みを歩まずにはいられないのである。

この場面が予告しているのは、海の主題ばかりではない。それは、北野武の作品における異性の相貌をも明らかにしている。彼にとって、あらゆる異性は妹でなければならない。妹であるかぎり、それは目を見張るような美貌の持ち主であってはならず、人混みにまぎれれば誰とも区別ができなくなるような、ごく普通の表情におさまっていなければならない。その点に関する限り、女優の選択において彼は徹底している。『その男、凶暴につき』の妹を演じた川上麻衣子がすでにそうであるように、もっとも目立たない役者をあえて選んでいるのである。

『HANA-BI』に描かれている妻も明らかに妹のヴァリエーションにほかならず、接吻や抱擁の対象となりうる相貌からはほど遠い、むしろコメディが得意な岸本加世子が選ばれている。事実、二人の間には子供がいない。アメリカに舞台を移しても事態はかわらず、最近作の『Brother』に登場する日本人娼婦など、とてもやくざの趣味とは思えないほど華麗さからは遠い女性である。北野武の世界では、異性は、その優雅さによって人目を惹きつけてはならないし、その性的な魅力によって男性を誘惑することができない。『ソナチネ』には例外的に現代の若者風俗にふさわしい女性が姿を見せるが、彼女が裸の胸を見せてもビートたけしは動揺する風もみせない。これは、しばしば指摘されるように、北野武における男の世界に同性愛的な雰囲気が漂っているからではなく、兄と妹の近親相姦的な風土によるものと理解されねばならない。北野武における異性は、ほとんど無意識に、ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役(Scarface)』(1930)の世界に接近している。

ホークスがそうであるように、北野武は家庭を舞台にしたメロドラマを題材とすることがない。家庭用の住宅が登場することがあっても、『その男、凶暴につき』の冒頭におけるように、それは「凶暴」な刑事がその「凶暴さ」を発揮する場として設定されているにすぎない。あるいは、『HANA-BI』の場合のように、そこには病身の妻が横たわっているだけであり、放浪生活を始めるとき、二人は初めて生き生きとした表情を取り戻すことになるだろう。実際、駅の構内や街角をうろつきまわっている『Kids Return』の少年たちの行動には、家庭の影さえ落ちてはいない。『HANA-BI』の傷ついた友人の刑事の家族がそうであるように、親子という関係はいたるところで崩壊する。それどころか、『菊次郎の夏』がそうであるように、彼の作品は、両親という登場人物の不在によってむしろ活気づくのである。『その男、凶暴につき』の兄と妹とは、だから天涯の孤独であり、彼らは本質的に孤児なのである。それが『Brother』の異母兄弟に受け継がれているのは明らかだろう。LAで再会する孤児の二人がほとんど言葉を交わさないのも、『その男、凶暴につき』の退院のシーンと同様である。

刑事の兄が退院する妹を迎えに行く場面は、北野武におけるキャメラの位置についても多くのことを教えてくれる。二人が主治医に先導されて長い廊下を歩いている場面で、彼らの姿が正面からとらえられている限り、キャメラは動こうとはしない。彼らの歩行を移動撮影で追うのは、窓越しの横からのショットに限られている。『その男、凶暴につき』の冒頭の、橋をわたる刑事を正面から望遠気味にとらえた長いショットからも明らかなように、ここでの運動はその不在に還元され、持続ばかりが露呈される。それに対して、自転車を横からの移動撮影でとらえた画面を最大限に活用していた『Kids Return』は、持続を消滅させる。

北野武は、この持続の露呈と持続の消滅の独特な配合によって、いかにも時間が流れたという叙事詩的な印象を排除する。彼が作品の編集を他人にまかせられないのは、多くの編集者が、本能的に、ショットを叙事詩的な時間の流れにふさわしく配列させてしまうからだ。彼の作品が、その質の高さにもかかわらず多くの観客を動員せずにいるのは、そのことと関係しているかもしれない。誰一人として、流れる時間に身を委ねることができないのである。映画作家北野武が描く世界は、いまなお唐突なのだ。それは、生から死への移行の唐突さなのだろうか。それとも、生そのものの不条理なのだろうか。

初出:'Takeshi Kitano ovvero l'orfano inafferrabile' in "Il Cinema nero di Takeshi Kitano" (a cura di Luciano Barcaroli, Carlo Hintermann e Daniele Villa), Ubulibri, 2001.

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