この金髪の座頭市は、まぎれもなく宇宙人である

北野武監督・ビートたけし主演の2003年版『座頭市』の座頭市は、まぎれもないETである。朱色の仕込み杖を握っての歩行ぶりなどどこか人間めいてはいても、金髪頭で江戸時代にふらりと迷いこむところなどれっきとした宇宙人に違いなく、たかだか地球人にすぎないやくざの子分など束になったってかなうはずもない。

北野ともビートとも名乗って地表を闊歩するET=宇宙人の前に立ちはだかる強敵はといえば、それらしく扮装した作中のやくざなどではなく、むしろ生身の勝新太郎と三隅研次だろう。2003年版が『座頭市』と題されている点では勝新太郎監督主演の『座頭市』(89)が意識されているかに見えるが、あれにはどこかしら名誉ある撤退の身振りが漂っており、作品の強さという点では『座頭市物語』(62)に到底かなうものでない。40年も昔のあのモノクロ作品での勝新太郎と三隅研次の奇跡的な出会いがなければ、何ごとも始まらなかったはずだからである。ET=宇宙人もその功績は認めざるをえないが、いずれも故人であるだけに、そのイメージの神話性に闘いを挑んだところであまり勝目はない。

そこで、北野武はしばし考え込む。ビートたけしもまた考え込む。思案のはてにというほど深い思考と長い時間とが必要とされたかどうか地球人の知るところではないが、ET北野と宇宙人たけしとは、あるとき同じ結論に到達してうなずきあう。それは、立ちはだかる強敵にあえて闘いを挑んだりはしまいという結論だ。理由は単純きわまりない。監督としても役者としてもおいらが一番なのだから、あえて闘うまでもないのというのである。

かくして、おいらは強い、なぜならおいらが一番強いからだという地球の論理を超えた循環論法を肯定するために、宇宙的『座頭市』の撮影が始まる。こちらはヴェネチアで金獅子賞まで貰っているのにあちらは無冠だなどという人間社会の上下関係など、間違っても口にしたりはしまい。あたかも勝者の冠を戴いているかのような黄金の髪の毛が差異の標識として機能してくれれば、それで充分だろう。破滅型の役者勝新にもシニカルな審美主義者三隅にも敬意以上のものを覚えてはいるが、撮影に入ったらそんな負い目はきっぱり忘れ、この市とあの市とが同じ名前であることなど、ほんの偶然にすぎないといった風情で事態に対処すればよい。

思えば、大映の遠からぬ破産を予感しながら量産されていった『座頭市』シリーズは、とりわけ1960年代の後半、市の身体を作品ごとにサイボーグ化していった。かけがえのない友人平手酒造(天知茂)も血をわけた兄貴(城健三朗=若山富三郎)をもおのれの手で殺めねばならなかった勝=市は、もはや心など必要とはしていないからだ。岡本喜八の『座頭市と用心棒』(70)や安田公義の『新座頭市 破れ! 唐人剣』(71)では他流試合で最強が競われているが、2003年版『座頭市』の強さは、そんな地球規模での比較を遥かに超えている。香港風に軽々と宙を舞ったり、ハリウッド流に瞬時に無機質に変身したりすることなく、かりそめに地球の引力を受けとめつつも、これは宇宙最強の戦士なのだ。

ET=市の強さはもっぱら音響から来ている。実際、江戸時代を舞台としたチャンバラ映画にはあまり響いたことのない乾いた音が、2003年版『座頭市』の独特のリズムを刻んでいる。ぶっきらぼうなビートたけしは、勝新のように、見えないはずの目を無理やり上目遣いにして仕込み杖を抱え込み、慇懃無礼な口調で危険な自分から遠ざかれと説いたりはしない。乾いた音を響かせながら鉈で木の切り株を割り、それを放り投げて壁沿いに薪の束をうずたかく並べてしまうような呆気なさで、彼は群がる敵を倒す。ここでの殺陣は、視覚的である以上に音響的であり、畑を耕す村人までが振りおろす鍬の乾いた音で道行く市を歓迎している。そのリズムが最後のタップダンスの盆踊りにもつながっているのを見れば、この乾いた音が宇宙的な交信に必須な記号のようにも思えてくる。

だが、この乾いたリズムに同調しない人物が存在する。浅野忠信が凛々しげに演じている浪人である。北野武が自分の相手役に存在感のあるスターを配したのはこれが初めてだが、この対立はどのように推移するのか。素性の知れぬ金貸しとやくざに支配された山村には、座頭市とともに、放浪する二組の地球人カップルが姿をみせている。病身の女房を道づれに用心棒稼業で金をかせぐ問題の浪人と、女装した弟とともに旅芸者に扮して親の敵をつけねらう若い女性とである。女形の弟の舞にうっとりとする酔客を仕込み三味線で殺めてまわる旅芸者の姉弟は、乾いた弦の音でET=市のリズムに同調するから問題はない。厄介なのは浪人夫妻である。女房はたえず咳き込んでいるが、夫はむしろ寡黙で、その殺陣の視覚的な美しさで他を圧する。実際、浅野忠信の浪人は、表情といい身振りといい、役者として強さの極致を体現しており、ET=市にとっても侮りがたい相手となる。

その浪人浅野忠信に金髪のET=市が勝つというクライマックスの段取りは、はたして有効に機能しているか。おいらは強い、なぜならおいらは一番強いからという循環論法が、浅野忠信の殺陣の切れ味に対して充分に説得的かといえば、どうもそのようには見えない。そこには何かしら、仕掛けが必要だった気がする。ただ、ここで奇妙な逆転が起きていることに注目したい。最後の段階で、浅野忠信のほうが地球圏から軽やかに離脱し、村人にまぎれた金髪のET=市のほうが地球人と同調し始めたかのように見えることだ。とするなら、監督北野武は、真の勝利を役者浅野忠信に譲ったのだろうか。そのあたりをごく曖昧にしたまま、タップダンスの乾いたリズムがスクリーンを不気味に充たしていく。

 

初出:『Invitation』2003年10月号(8号)

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