無声映画の都市表象としての帽子

アメリカ映画はハリウッドで生まれたと誤解されがちですが、初期の映画はニューヨークを中心とした東海岸で撮影されていました。映画が西海岸に進出するのは、映画生誕から20年もたってのことにすぎません。その後も、ハリウッドの撮影所はニューヨーク本社の厳しい監視下に置かれていましたが、これは資本の論理からして当然のことです。産業としての映画の成立は、都市の実践的な精神を必要としていたのです。

世界初のシネマトグラフの興行は1895年12月にパリで行なわれましたし、発明者のリュミエール兄弟の生まれ育ったリヨンは商業都市です。第一次世界大戦まで世界をリードしたイタリア映画も、北部の工業都市トリノを中心に発展しました。ドイツではベルリン、日本では京都と東京を二極として映画が発展したのはごく自然なことといえます。
 
そこで、映画がどんな都市のイメージを流通させたかを無声映画を中心に見てゆくことにしますが、その前提として、草創期の映画が東京をどのように捉えたかを見ておきましょう。東京の動くイメージは、1897年の様子を収めたものが最も古いものですが、リュミエール兄弟が世界に派遣したキャメラマンのガブリエル・ヴェールとコンスタン・ジレルの二人が、1897年から98年かけて来日しています。
 
中学時代にフランス留学経験がある京都の実業家の稲畑勝太郎は、リュミエール兄弟の一人の同級生で、彼からシネマトグラフの話を聞き、ジレルを招聘したのです。ジレルは1897年に神戸に到着し、2月15日の大阪での初の一般公開を組織しますが、ヴェールは、中米から北米を経て1898年に横浜に到着しました。彼によって撮影された映像では、銀座や新橋の光景、あるいは皇居のお濠端や、横浜の競馬場だと推測される場所を行き交う人々の姿を見ることができます。いずれも、上映時間一分弱のドキュメンタリーですが、では、フィクションでは何が都市を表象したのでしょうか。
 
D・W・グリフィスが1912年に撮った『ニューヨーク・ハット』は、初めて「都市と地方」を明確に主題にした作品です。都会に行ったことのない地方の女性が、流行品店のウィンドウに飾られたニューヨークの帽子に憧れ、「都会とは瀟洒な帽子だ」という象徴性が成立します。グリフィスは、その8年後に『東への道』という傑作を撮りますが、田舎の貧しい娘が父親を失い、都会の裕福な従姉の家に住み込み、そこで女たらしの美男に遭遇してたぶらかされるという筋立てです。娘が家を発つとき、大きな丸い帽子箱を大事そうにかかえていますが、彼女自身のかぶっている帽子は、都会の社交界では哀しくなるほど田舎者じみて見えます。田舎娘を演じているのは最初の映画スターともいうべきリリアン・ギッシュですが、そのヒロイン像によって「都会の男性に憧れる若い女性」という形で定着することになります。
 
ジョン・フォードによる1917年の西部劇『鄙から都会へ』でも、西部の若い娘がニューヨークの資本家の御曹司に惚れ、父親も恋人も捨て、男とともにニューヨークに行ってしまいます。許嫁だった娘を救い出すため、カウボーイがワイオミングからニューヨークにやってくる。彼が泊まるホテルには二人組の高級詐欺師がおり、女はきらびやかな帽子をかぶって都会性をきわだたせていますが、カウボーイの心意気に触れて義侠心に目覚め、彼の婚約者の救出に協力することになります。カウボーイを演じているのは最初の西部劇スターのハリー・ケリー。たまたま牛を売りにニューヨークに来ていた彼の仲間に援軍を頼み、何人ものカウボーイが馬でブロードウェイを勢いよく疾走しで現場に向かうさまは爽快きわまりない。
 
この爽快さに敏感だったのは、ロシア人ボリス・バルネットでした。彼の主演する『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924)がそうなのですが、革命直後のモスクワの街頭を、悪漢を追うカウボーイが疾走する映画が撮られていたことを知る人は少ないでしょう。スターリン体制成立以前のソ連がいかに自由奔放であったかを改めて認識せねばなりません。バルネットは、27年に『帽子箱を持った少女』という映画を撮り、都会が「帽子」によって象徴されるというグリフィス的な主題をモスクワで描いて見せます。
 
第一次世界大戦後のドイツ表現派の中でも、最も重要な作家であるムルナウは、ハリウッドに招かれ、1927年に大傑作『サンライズ』を撮ります。誘惑する都会の女とそれにさからえない地方の男を描いた映画ですが、仲良く暮らしていた夫婦の前に都会の女が現われ、若い夫が「一緒に暮らそう」と言うと、都会の女は「奥さんを殺さなければ」とそそのかす。夫は妻を舟で湖水に連れ出すのですが、夫の豹変ぶりに脅えた妻は岸にかけあがり、森の中に姿を見せる一台の市電に飛び乗り、後悔した夫もすがりつくように乗り込みます。市電に揺られて二人は都会に行き、愛をとりもどすのですが、この市電の走行ぶりは、『鄙から都会へ』のカウボーイのブロードウェイの疾走ぶりのように素晴らしい。見も知らぬ都会の雑踏に戸惑うヒロインのジャネット・ゲイナーは日本人にも好まれたスターですが、彼女のかぶっている田舎じみた帽子が何とも痛ましい。
 
小津安二郎は、田舎娘が都会にでてくる話を『美人哀愁』(1931)で描いていますが、これは残念ながらプリントが失われている。小津の無声映画『非常線の女』(1933)や『その夜の妻』(1930)では、男物の帽子が都会を象徴しており、丸の内のオフィスで働くサラリーマンを壁にかかったソフト帽で表わしています。この二つの作品では、都会で暮らす貧しい男女による強盗事件が描かれていますが、サイレント期の映画は、日本でも都会は盗みへの誘惑にみちた空間として提示されています。『その夜の妻』では娘の病気から強盗を働かざるをえないサラリーマンの物語です。自宅に張り込む刑事に和服姿の妻が大胆にも二丁拳銃をつきつけて夫をかばおうとするのですが、刑事は残されていたソフト帽から、隠れていた夫の居場所をつきとめてしまう。
 
無声映画が、大衆消費社会が成立しつつある都会を、世界でも日本でも、男女の帽子で表象していたのは、きわめて興味深い事実です。そうした都会性を象徴する帽子のイメージがトーキー映画から徐々に失われていったのは、20世紀を通じての大衆消費社会の爛熟が、都会の神話性を崩壊させてしまったからなのです。
 
 
 
初出:『Wedge』2005年5月号
 
 
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